『Phonetics/Benoit Delbecq Unit』
Benoit Delbecq Unit: Oene Van Geel (viola) Mark Turner (tenor
saxophone) Benoit Delbecq (piano, sampler) Mark Helias (bass instrument) Emile
Biayenda (drums)
Recording information: Paris,France (11/09/2003-11/12/2003).
紹介が2年遅れになる。
フランスの鍵盤奏者ブノワ・デルベックが、アメリカのサックス奏者マーク・ターナーを擁したクインテットでの作品『 PHONETICS(言語の音声学を意味する)』、レーベルはカナダのSonglines。思わずソファから立ち上がってしまう。 90年代に活況を呈したフランス・ジャズ・シーン、中核となったレーベルDeux
Z(ドゥーゼット)―輸入盤屋では特集が組まれ国内盤化も検討されていた―で、ギターのノエル・アクショテ、タイコのスティーブ・アルグエルとリサイクラーズというトリオで光彩を放っていたデルベックである。(ちなみにアクショテはその後自己のレーベルでデレク・ベイリーと共演、またウインター&ウインターでのソロ作品で新境地を示す。アルグエルは80年代イギリス・ジャズ・シーンでルース・チューブ、ヒューマン・チェイン(ジャンゴ・ベイツはここからキャリアをスタートさせた)というグループで中心的役割を担った才能でパリに移住したもの。)
一方、マーク・ターナーは90年代アメリカ・ジャズ・シーンにおいて、ブラッド・メルドー、カート・ローゼンウィンクル、ジョシュア・レッドマン、ジェームス・カーター、ブライアン・ブレイド、クリスチークといったサーキットで一目を置かれていつづけている存在で、私見ではあるが実力に相応しいリーダー作に恵まれていない(5枚のリーダー作を数えるが)。バークリーで学んだ黒人サックス奏者で、指向性はクール・ジャズにあるとみていい。特色は、トーンに対する意識の高さだ。
デルベックは自己のクインテットを組むにあたって、前作ではジャン・ジャック・アブネル、アブネルはフランスにあってスティーブ・レイシーにとってトリオにとどまらずラージ・アンサンブルに至るまで音楽の骨格を支えつづけたベーシストである、を、擁してのクインテットであり、ひと回りも年齢の離れたアブネルの鋼のようなジャズ感覚無しには、やはり到達できないところまでデルベックはカルテットをまとめ上げたのであったが。5年ぶりとなるこのクインテットでは、サックスにマーク・ターナー、ベースにマーク・アライアス、アライアスはアメリカの中堅のベテランでレイ・アンダーソンとの作品で知られるほかマーク・ドレッサーとのベース・デュオ作『
Marks Brothers』(二人のMarkを、マルクス兄弟にかけたタイトル)もある、そしてヴィオラとタイコという風変わりな編成、である。で、これは、デルベックとターナーに焦点をしぼって良い。
打楽器的なセンスに特化したデルベックではあるけれども、デルベックのコンポジションには彼特有のトーンが一貫して流れていたものだった。リサイクラーズがアクショテの脱退でトリオが解かれて以降、濃厚に漂い続けていた彼のトーンは、まさにターナーというこの上ない逸材と出会った。フランスとアメリカのデルベックとターナーが属していたシーンの隔絶を思うと、この共演はミュージシャンシップの奇跡に他ならない。小沢健二・渋谷毅・川端民生、菊地雅章・グレッグオズビー・吉田達也、藤井郷子・マークドレッサー・ジムブラックといった音楽的邂逅に匹敵する、とは、いささか私見に偏りすぎるけれども。
この作品『
PHONETICS』で展開されるトーンはデルベックの領地であり、ターナーはかなり理知的かつクールに吹き切っている。この作品は現代ジャズの傑作と言えるかどうか。可能性を示した作品である、と、言うに留めたい。ぼくはリズム隊を変えたい。もしくはライブでの演奏を聴きたい。というのは、書かれ過ぎているきらいを感じるのだ。ウイリアム・パーカーのような時間を攪乱する存在が居たならば。
デルベックはこのクインテットを構想するまで、ターナーの以前の演奏を聴いたことが無かったという。何と言う。ぼくが教えてあげたのに。ウイリアム・パーカーやジム・ブラックを聴いていない可能性があるぞ。さすがにブラッド・メルドーやポール・モチアンは知っているだろう。
ブラッド・メルドーはクラシックのパッチワーカーではない。メルドーの放つ、不穏なトーン、が、彼の核心。モチアンがこの10年取り組んでいる2サックス2ギターによる揺れるトーンが身上であるエレクトリック・ビバップ・バンド、彼らこそが、現代ジャズの重要なキーである。ジム・ブラックのウインター&ウインターでのリーダー作の3作目『
HABYOR』は、ポスト・ロック世代のオルタナティブ・ジャズという不定見な定義は要らない、執拗に鳴り続けるトーンが聴かれるべきキモだ。メルドー、モチアン、ブラック、そしてデルベックが確信と歓びをもって探索しているそれぞれのトーンのあり方には、同質な問題意識をぼくは視ている。同質な現代性、同質な耳の快楽。ぼくはこのパースペクティブで現代ジャズ(もはや死語にならずに措定できた
として)で仕事ができると思うのは、あとは菊地雅章とパット・メセニーだけかもしれないと考えている。
ウイリアム・パーカー、ジョー・モリス、マット・マネリ、ティム・バーン、マルク・デュクレといった現在生きている音・生命を放つ音を、相当な技量でもって演奏し続けているミュージシャンたちの中では、齋藤徹・今井和雄・ミッシェルドネダの『
Orbit 1』が今年突出して素晴らしいものだった。JT (多田雅範)