Vol.31 | 食べある記 2009〜2010text by Masahiko YUH

 昨年末からこの3月にかけての印象深かったライヴ演奏を数えてみたら10指を超えた。食べ歩いたそんな好ライヴを綴った本年初の<食べある記>。  先ずは、予想外の感銘を得たコンサートから。

〇上原ひろみというとまたかと失笑を買うかもしれないが、初のソロ・アルバム『プレイス・トゥ・ビー』の発売を記念しての力の入った単独ソロ・コンサート(11月28日)から約1ヶ月後の12月24日、すみだトリフォニーホールでの「上原ひろみ with 新日本フィルハーモニー交響楽団」。この夜の上原にはまたしても驚いた。ピアノ演奏にではなく、自作のオーケストラ演奏のためのスコア作りの方。作編曲技法といってもいいが、正確にはそのオーケストレーション。オープニングの「ブレイン・トレーニング」での、ステージ中央前面の彼女と沼尻竜典指揮の新日フィルによる構成豊かなアンサンブルを聴きながら、誰のオーケストレーションかと考え続けた。まさか上原自身の手になるものとは思ってもみなかった。だが、6拍子の「リヴァース」、ヴィクター・ヤングの「ゴールデン・イヤリングス」、タイムが目まぐるしく変化する自作の「スパイラル」と聴き進むうち、オケとピアノ演奏とのあまりに絶妙な相性の響きに触れて、他の人ではこうはいくまい、もしかするとこのオーケストレーションは上原自身かもしれないと考え出した。終演後に確かめて、そうと判ったとき、改めて心底驚嘆した。この人はピアニストとしてはもちろん、類稀なコンポーザーでもあった。よくよく考えたら、彼女はピアノではなく作曲を学ぶためにバークリーへ進んだ人。この夜のためのオーケストレーション漬けで過ごしたという苦労が実を結んだのだろう。第2部のソロ・ピアノ2曲以外の全曲をシンフォニック・オケ用にスコア 化した彼女のエネルギーと汲めども尽きぬ創造性の発露に、改めて感服した。3楽章風に再構成した最後の「ス

テップ・フォワード」での、第3楽章のカデンツァやガーシュウィンのピアノ協奏曲をしのばせる曲想など、本格的に自作のコンチェルトでも書いてみたらと勧めたくなるほど。当夜はクリスマス・イヴ。アンコールの「クリスマス・ソング・メドレー」まで3階席まで埋め尽くしたファンを酔わせる華やかで充実したコンサート。沼尻と新日フィルも特筆すべき好演であった。

〇驚いたといえば、<4バンド一挙同日ライブ>を看板にした田村夏樹=藤井郷子のライヴ(1月9日,新宿ピットイン)。事前に判ってはいたが、実際に編成も顔ぶれも違う4バンドが次々に演奏するスリリングな展開を目の前にすれば舌を巻くほかなかった。夫妻は現在定期的に活動する4ユニット<ガトー・リブレ、Ma-Do、ファースト・ミーティング、藤井郷子オーケストラ東京>を率いて活動している。この夜のライヴに先立ってこの4バンドの新作CDを同時発売の形で世に出した。これひとつとっても未曾有の試みだが、その発売記念を謳った4バンドの同日ライヴとはまた破天荒な、まさに前代未聞のイベント。こんな荒行にもかかわらず、当の夫妻は終わった後も何事もなかったかのようにケロリとして屈託がない、いったいあの巨大なエネルギーはどこから湧いてくるのか、と奇妙な気持にさえなった。この4つのグループは音楽的に性格も表現もまったく違う。5時間に及ぶライヴの中で、4種のバンドがどれも音楽的に新鮮な創造性を失わなかったことじたいも特筆に値する。各演奏を詳述するスペースはないが、最後を締めたオーケストラ演奏が圧巻だった。まさに当夜のクライマックス。ジャズから民族音楽にいたるあらゆる音楽のエネルギーと妙趣を詰め込んだ藤井郷子の手になるスコアから、一騎当千のソロイストたちの炸裂するソロと豪快な爆発的アンサンブルが活きいきと飛び出す、このビッグバンドならではの巨大なエネルギーに圧倒されつづけた。


○ 三文オペラ/こんにゃく座(2月4日,世田谷パブリックシアター)
○ 先鋭的な名技性/東京シンフォニエッタ(2009年12月2日,東京文化会館小ホール)
○ 二十絃筝の40年〜過去と未来/日本音楽集団(1月23日、津田ホール)

 ジャズ以外の傑出したコンサートから数点を拾ってみた。
 「三文オペラ」は言わずとしれたブレヒト=クルト・ワイルの作品。日本でも「モリタート」(マック・ザ・ナイフ)がお馴染みだが、他の「バルバラ・ソング」や「海賊ジェニーの歌」にしても、米国ポピュラー音楽の常識的な和声進行を皮肉ったかのような意表を突く音づくりが魅力的な、オペラというより音楽付き舞台劇。カフカの「変身」も見(聴き)応えがあったが、西洋オペラとは一線を画したこの集団の特色や昨今の好調な舞台づくりが小気味よく発揮された舞台であり、出演団員たちの健闘も光った。中にはつまらない曲もあるのだが、ワイルの原曲を再構成し、演奏者たち(クラリネット、サックス、トランペット、トロンボーン、打楽器、ピアノ)の編成と楽器を巧みに活かした座付き作曲家の林光(芸術監督)と萩京子(音楽監督)の音楽づくりによって、すべてがまさに蘇った。ひときわ印象に残ったのが、ジャズ界でも異色のピアニスト兼作曲家として活躍する港大壽の優れた音楽的貢献だった。音楽協力と記されたクレジットを超えて、「噂のマック」(マック・ザ・ナイフ)など7曲の編曲を担当し、演奏セクステットのリーダーとしての彼の活躍が、この舞台の成功に一役も二役も買ったことは間違いない。彼の特異な個性に注目してきた私にも、彼のユニークな和声感覚とリズミック・センス、狂気の一歩手前で真面目にふざけながらも、いわゆる大道芸的なスピリットを活かした港の稚気と雑草根の風味豊かなここでの音楽的貢献は、嬉しい収穫だった。

 現代音楽の多岐にわたる個性に光を当てている東京シンフォニエッタ(板倉康明・指揮)が新実徳英の「室内協奏曲1−アクア」の世界初演を筆頭に、ジョン・アダムス、ブルーノ・マントヴァーニ、ヤン・ロバンらの日本初演作品全4曲を取りあげた定期。過去内外の50曲以上を演奏してきたこの団体らしい気鋭に富んだプログラムが光る。クラ、ハープ、ヴィオラの名技性が発揮されたマントヴァーニの「ストリート」、コントラバスクラリネット(西澤春代)を含む3種のクラがバトル風に競いあうロバンの「アート・オヴ・メタル」など、看板を裏切らぬ先端的な楽器演奏術、またストリングスの前面でピアノ、ヴァイブ、鉄琴が玉転がしのフレーズを奏でる新実作品の序奏など、それぞれに強く印象づけられる演奏であった。中でも2007年に米国初演されたジョン・アダムスの「チェンバー・シンフォニーの息子」。ジャズやミニマルの好きな人なら、特に連続する多様な

<リフ>とリズム・パターンが螺旋状にからみ合う第1楽章には心弾むだろう。特にベースの4ビート風な動きなどはジャズを生んだ米国の作曲家らしいと。また、第2楽章がベートーヴェンの第7交響曲の第2楽章を彷彿させたり、ここでも螺旋状に駆け上がるフレーズが連続する第3楽章など、あたかもベートーヴェンの第7の第3、4楽章とジャズ・ミニマルの混交美が結晶した作品の高い質を的確に表現しえたシンフォニエッタの演奏とともに、もう一度聴きたい印象深い作品だった。

   殻を破って幅広い活動を展開する邦楽演奏家の集まり、日本音楽集団が二十絃筝の40年の歴史を回顧したコンサート。この集団が結成されたのが1964年だから、二十絃筝は当集団とともに発展してきた楽器とも言えるだろう。二十絃筝は長らく続いた十三絃筝や十七絃筝に替わって(ときに寄り添って)演奏するだけの、現代邦楽の過大な要求に応えうる機能と幅広い音色を備えていたからだ。作曲家の三木稔がこの楽器のための新曲を次々に書いた。当夜はその最も初期の「天如」(69年)から、8、90年代に現代音楽作曲家と組んだ数作のうち柴田南雄の「七段遠音」など8曲に加え、夏田昌和の「啓蟄の音」と松尾祐孝の「糸の書」という2つの委嘱作などを含む全11曲からなる意欲的なプログラム。三木自身が”にいごと”と呼ぶ21絃筝も70年代初頭に開発されて普及しつつあることを思えば、二十絃筝は邦楽演奏において欠かせぬ楽器として定着したといってよい。この間、筝の団体や進歩的演奏家たちは率先して本邦有数の現代音楽の作曲家たちに筝のための新作を委嘱し、レパートリーの刷新に努めてきた。その中心的原動力の1つが日本音楽集団であり、吉村七重ら進取の気性に富む所属演奏家だった。当夜は尺八や打楽器等にバックアップされながら、その吉村をはじめ宮越圭子、山田明美らの二十絃筝独奏が精妙で力感を備えた現代邦画に通じるデリカシーとダイナミズムが混在する陰影に富む世界を描き出した。2年前に吉村自身が初演した湯浅譲二の「筝歌・蕪村五句」の再演ソロを筆頭に、2つの委嘱作、西村朗、新実徳英、吉松隆、及び三木や長澤勝俊作品など、二十絃筝の40年の歩みが一望できる夕べだった。
 ちなみに、雅楽でも箏は主要な楽器のひとつ。ただし、現行の雅楽では箏は旋律ではなくリズムのパターンを奏する楽器だという。また左手を用いた古い奏法、あるいは秘曲として伝わる「青海波」などの復元された楽曲などを特集した伶楽舎の第21回雅楽コンサート『筝のこと』(2009年12月21日、四谷区民ホール)は感銘深い夕べ。正倉院には琴(きん/七絃)、瑟(しつ/二十三〜二十五絃)、箏(十三絃)、和琴(わごん/六絃)、新羅琴(十二絃)などがあるが、雅楽に残ったのは和琴と筝だけだとか、分類上では琴と筝が種類の違う楽器であることなど、実に多くを教えられた。私たちがいかに自国の伝統音楽について無知であるかを思い知ったコンサートで、もっと多くの音楽ファンに聴いて欲しい意欲的な試みだった。  

 次に、内外のピアニストによる興味深い演奏を3つ。

 〇 板橋文夫/ピアノ・ソロ・リサイタル(2月6日、TOKYO FMホール)
 〇 スーパー・ピアノ・フラメンコ/ドランテ・ピアノ・ソロ・コンサート
 (1月15日、すみだトリフォニーホール)
 〇 マイク・ノック・トリオ(1月16日、新宿ピットイン)

 ちらしには<無限ピアノ・板橋文夫PLAYS CLASSIC>の宣伝コピーが踊っていた。FM東京の田中美登里さんが20年にわたって送り続けてきた<トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ>の20周年と、同番組に何度も出演した板橋文夫の還暦を祝福するコンサート。彼がクラシック作品を演奏するという珍事?を謳い文句にした例外的な演奏会で、なればこそリサイタルを銘打ったのだろう。ベートーヴェンのピアノソナタ「熱情」のテーマを用いたチューニングで始まった第1部が面白かった。演奏の合間の照れ隠しのようなお喋りも彼の実直な人柄を浮き彫りにする。演奏もむろん彼ならではの破滅型スタイルのクラシック。モーツァルトの11番のソナタや「トルコ行進曲」、シューマンの「子供の情景」からの「異国の人々」、ショパンのエチュード「革命」など。彼は先記の港大壽同様、国立音大出身だから入学前はこれらのピアノ曲と格闘していたに違いない。だが、卒業後ジャズに転身して30年以上、クラシックとは縁がなかったはず。そのため今回は譜面通りに弾くクラシックの流儀に添うため涙ぐましい練習を繰り返したことを面白おかしく告白した。「革命」では事実、「この曲は嫌いだ」と笑わせながら、間違えて演奏し直したり、あたかもタキシードでピアノに向かいながら地に戻って普段着の演奏になってしまう図が愉快だし、板橋らしい。「子供の情景」で後半ジャズのコードを用いてアドリブしたようなざっくばらんさをもっと出してもよかったと思うくらいだ。2部は「ローリング・ストーン」などで、正気と狂気の世界を自在に往還するいつもの板橋節を披露。さすがにここではテレはなく、暴力的なくらいに奔放ないつもの彼が戻った。だが、私には彼がクラシックの曲と格闘した第1部の方が初めての経験だっただけに面白くも楽しくもあった。

 スペインのピアニスト、ダビ・ペーニャ・ドランテは一昨年、同僚ギタリストのトマティートとジョイント・コンサートを行った。今年はパーカッション奏者テテ・ペーニャを伴ったが、ソロ・コンサートの趣が強い。どの演奏にも彼の誠実な人柄が反映した浮ついたところのない実直味溢れる音がこだまして、感じのいいコンサートだった。フラメンコ特有のギラギラした情熱の輝きが知的に傾斜した分だけ迫力を欠いたように見えるが、よく考えてみたらフラメンコのモードで詩を詠う彼のような演奏スタイルはそれだけでもユニーク。かつてコルトレーンを愛聴したという話に前のめりして期待し過ぎたこちらの側にも落ち度があったことを反省して振り返れば、フラメンコ・ピアノという独自の世界を切り拓きつつあるドランテの明日に注目しておくべきだろう。

 ニュージーランド生まれで現在はオーストラリアで活動するピアニスト、マイク・ノックが夫人の里帰りに同行して来日し、恐らく公式には初めてと思われる演奏を披露した。彼が先年まで教鞭を執っていたシドニーの音楽大学でその教えを受けた大村亘がドラムスで、須川崇志がベース。自身のオリジナル曲「ザ・ウィンド」に続いてはスタンダードの「ウィル・ビー・トゥゲザー・アゲイン」。こういうピアノを聴くのは何年ぶりだろう。昔に戻ったかのようなゆったりした寛ぎ。その中に心ときめかせる懐かしい響きがある。昔の話をひもとくようなこういう音を綴る演奏家は今日では珍しい。決して赤茶けたセピア色の写真を見る雰囲気ではない。が、懐かしさが胸をよぎる。在りし日の忘れかけていた光景や思い出がふと甦る。そんな心地よさ、だろうか。休憩後の「アフタヌーン・イン・パリ」(ジョン・ルイス)や「ケリー・ブルー」(ウィントン.ケリー)の屈指のモダン・ジャズ曲が、往時の気分のままで心を包み込む。須川も大村もよく気分の乗った好演で、心からゆったりした快感を賞味しながらノックとの再会とつかの間の白昼夢を楽しんだ。

 〇ブルーノート東京にはロイ・ハーグローヴ・クィンテット、ロバータ・ガンバリーニ、ブランフォード・マルサリスら現ジャズ界のヒーローが相次いで登場した。前2者は現在の絶好調ぶりを披露したが、ハプニング風に面白かったのがブランフォードのクァルテット(3月5日)。ベースのエリック・リーヴァイス、ドラムのジャスティン・フォークナーは予告通りだったが、ピアノがジョーイ・カルデラッツォではなく何と片倉真由子。ところが、3曲目あたりから演奏曲が手際よく進まない。「彼女と会ったのは本番3時間前なんだ」との彼の説明で納得した。それにしてはオープニングの「ジットニー・マンの帰還」での彼女の意志的な強靭なソロは聴きごたえがあったし、後半のモンクの「エヴィデンス」でのソロも有能な新鋭らしい迫力に富むものだった。アンコールの「ストレイト、ノー・チェイサー」でブランフォードがアルトの多田誠司を伴って登場した瞬間、謎が解けた。仲のいい多田の推薦で片倉を呼んだのだ。確かめてみたら次の2日間はバークリーでの同窓生、小曽根真がつとめたとか。それにしてもカルデラッツォには何があったのかしら。

 余白はとうに尽きているのだが、触れておきたいコンサートが2つある。

○清水靖晃&サキソフォネッツ/ゴルトベルク変奏曲
 (2月27日、すみだトリフォニーホール)
○フレッシュ・コンサート/神奈川フィルハーモニー管弦楽団  
 (3月3日、ミューザ川崎シンフォニーホール)
 
 バッハの「ゴルトベルク」をさまざまな演奏家の多種多様なアプローチで再現するトリフォニーの企画も佳境を迎えて、今回は既成のカテゴリーを逸脱した活動を続けるサックス奏者の清水靖晃。すでにバッハの「無伴奏チェロ組曲」に挑戦した彼のことだし、ある程度の期待はあった。だが、結果は予想以上に素晴らしかった。原曲はテーマのアリアと30の変奏から成るキーボード曲。清水は原曲の声部を増やしたり削ったり、原曲にない旋律を加えたりしながら、しかし結果的にバッハの原曲の風味や特徴を損なわない、それでいて現代的なニュアンス(音色やリズムなど)さえ随所に明滅する「ゴルトベルク」に仕立て上げた。よほどの通でも30のヴァリエーションを隅々まで熟知しているわけではあるまいが、素人の私たちに何の違和感も抱かせぬ当夜の演奏は稀に見る傑出した達成といってよいだろう。清水はテナー1本。全員が芸大の若い卒業生で構成されたサキソフォネッツは、2本のバリトンがサウンドの枢軸を見事に制御し、2人のアルト/ソプラノ奏者が華やかに旋律を彩る。後段の4人のコントラバス奏者によるバスの声部がダイナミックにドライヴしたり変化したりするアイディアもいい。創造性と遊戯性が見事に溶け合っている。  

 オーケストラが地元地域の団体や人材と組んだ試みとして、金聖響を常任指揮者に迎えた神奈フィルが洗足学園音楽大学とタイアップした川崎の演奏会は、目覚ましい成果をあげた。洗足大からはミュージカル・コースの選抜学生と、センゾク・ゲット・ジャズ・オーケストラ。後者は6年前に編成された同大ジャズコースの選抜学生によるビッグバンド。ここでは、母である亀山香能に師事し、同大大学院で学ぶ傍ら第一線で演奏活動を展開している中香里を三味線独奏に迎えた、三枝成彰作曲「三絃協奏曲」と、リーバーマン作曲「ジャズバンドと管弦楽のための協奏曲」にしぼって触れる。前者では、三味線の打楽器的な奏法に照準を当てた三枝の作品を、持前のひたすら前進するダイナミックな演奏で見事に仕上げた中香里に拍手。撥(ばち)を使わず指で爪弾くというかなりの技巧を擁する第2楽章、臆せずにオケと張り合いながらカデンツァ技法の見せ所を駆け上がる第3楽も旺盛な気力で弾き切った彼女の快演によって、「三絃協奏曲」の愛好者がぐんと増えるのではないか。
 一方、南西ドイツ放送局の委嘱で作曲されたスイスのロルフ・リーバーマンの後者は、モダニズム全盛の50年代半ばの作品。初めて聴く機会を得ただけでも私には感激だった。序〜ジャンプ〜スケルツォ〜ブルース〜スケルツォ〜ブギウギ〜インタールード〜マンボからなる音色とダイナミックスの変化に富む楽想を、金聖響の指揮のもと両グループが大熱演。とりわけ神奈フィルの面々と共闘した学生ビッグバンドの演奏を讃えたい。ソロもアンサンブルもさすがプロの演奏家の薫陶を得てきただけに聴きごたえがあり、彼らなりの実力を存分に発揮したといっていいと思う。作品も演奏ももう一度聴きたいものだ。(2010-3-9)  

悠 雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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