MONTHRY EDITORIAL02

Vol.48 | 「年末の第九」   text by Mariko OKAYAMA
Photo:林 喜代種


日本の年末の定番といえば、ベートーヴェンの『第九』である。だが昨年末に演奏された 『第九』は、特別な意味合いをもって受け止められたのではなかろうか。私自身、あまり足を運ばないこの曲を聴く気持ちになったのは、やはり3月11日の東日本大震災が頭の隅にあったからである。

『第九』は、何と言っても「歓喜の歌」で知られる。西欧では、シラーによるその詩をともなったこの作品を、自由な人間の讃歌としてとらえ、歴史の大きな転換点に演奏することが多い。古くは、1951年、フルトヴェングラーがナチスへの協力を疑われ演奏活動禁止ののち、ようやく無罪となり、バイロイト音楽祭復活の折りにこの曲を演奏し、聴衆の盛大な歓呼を受けたこと。あるいは、1989年、チェコのビロード革命の際、V・ノイマンがプラハのスメタナ・ホールでチェコ・フィルと演奏したこと。やはり同じ年のクリスマス、ベルリンの壁崩壊を記念して、バーンスタインがバイエルン放送交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニックなど多彩なメンバーによる『第九』をかつての東独のシャウシュピールハウスで演奏したこと。このとき、バーンスタインは「Freude」(歓喜)を「Freiheit」(自由)と変えて歌い上げ、自由への讃歌とした。それは「友よ」という呼びかけに続いて歌われる。
Freude, shöner Götterfunken, 
に象徴される句に呼応したもので、まさに自由への歓喜がここでは爆発するのである。後に続く一節、
Alle Menschen werden Brüder,
Wo dein sanfter Flügel weilt
は、直訳するなら「全ての人々は兄弟になる お前のやわらかな翼に留まって」といったようになる。ちなみに今回、私は大野和士指揮の都響(2011年12月26日@サントリーホール)で聴いたが、プログラムに掲載された船木篤也氏の対訳によれば「人はみな兄弟となる お前の翼に、そっと守られて」である。「そうだ、人は皆兄弟だ!」という宣言は、人々の連帯を高々と歌い上げている。
あるいは、
Laufet, Brüder, eure Bahn,
Freudig wie ein Held zum Siegen
は(以下、船木氏の訳を用いさせていただく)「ゆけ、兄弟たちよ、おのれの道を 喜び勇んで、勝利にむかう英雄のように!」と人々の心を鼓舞する。
あるいは、
Seit umschlungen, Millionen!
Diesen Kuss der ganzen Welt!
「抱かれてあれ、もろ人よ! この口づけを、全世界に!」と、大いなるキスとともに全世界を抱擁するのである。
といった具合に、これらの歌詞を合唱、4人のソリストたちが朗々と、あるいはあらん限りのエネルギーを迸らせてオーケストラとともに熱唱、力演すれば、これに勝る人間讃歌はあるまい。
ちなみに、日本で年末に『第九』が演奏されるようになったのは、1947年、レオナルド・クロイツァー指揮の日本交響楽団(現NHK交響楽団)が12月の9、10、13日に連続して演奏した時から始まったとされる。N響はその後、毎年末に『第九』を演奏し、定着させた。年末になぜ『第九』演奏が恒例化したかというのは、おそらくその祝祭性にあったと思われる。迎える新年を寿ぐ演目としてふさわしかったのではなかろうか。

 


さて、当夜の演奏だが。ピアニシモから身を起こす第1楽章は、やがて壮大なテーマを鳴り響かせて、この曲のスケールの大きさを予感させる。冒頭に示される強弱のダイナミズムはくっきりとした対比を描き出し、中間部のうねりへと続いてゆく。第2楽章は弦と管による俊敏な疾駆を、打が追い上げてひた走る。まさに、「ゆけ、兄弟たちよ、おのれの道を 喜び勇んで、勝利にむかう英雄のように!」である。一転、優しい調べが縷々流れる第3楽章は「自然はわれらに、幾多の口づけを、たわわなる葡萄を 死してなお裏切らぬ友をひとり、与えてくれた」という詩句を思わせ、穏やかな慈愛に満ちた光が溢れる。そうして管打の激しい一撃からいよいよ終楽章が開始され、1〜3楽章の一部が回想されたのち、「歓喜の歌」のモティーフが姿を現す。低弦のテュッティ(総奏)によるこのモティーフのみっしりと目の詰んだ響きは実に美しく、華やかな弦、管、打がそこに加わる。次いで、バリトン(堀内康雄)が「O Freunde(友よ)」と歌いだす。合唱(東京オペラ・シンガーズ)、メゾ・ソプラノ(小山由美)、テノール(市原多朗、佐野成宏の怪我により変更された)、ソプラノ(天羽明恵)がそれに続き、渾然たる響きが翼を大きく拡げて行く。ここでは市原と小山が際立ってよく通る声を届けていた。
大野の指揮は、全体を通して無駄のない指示で、ほとんど振らずにオーケストラに任せるところもあり、力で引っ張ってゆくスタイルとは対極にある。どの楽章でもそれは顕著で、やたらに棒を振り回したり、手でむやみに煽ったりすることがない。それでも響きが見事に構築されてゆくのは、世界を渡り歩く指揮者として、何が必要かを大野が良く知っているからだろう。すなわち、「眼」。彼は「眼」の指揮者なのである。その目力が、オーケストラを動かし、音を動かしてゆくのだ。
さらに、歌唱、合唱部分では、彼自身が声を張り上げて歌っていたと私は思う。背中しか見えないけれど、明らかに彼はソリストや合唱、オーケストラとともに全身全霊で声を出して歌っていた。何しろオペラを独りで歌いこなし、管弦楽部を全部ピアノで弾いてしまう指揮者なのだから。
ともあれ、この夜の演奏は、従来とは異なる高みと訴求力とを備えていた。それはこのたびの震災にあった多くの人々、また放射能の脅威にいまださらされている私たちが、励まし合い、いたわり合う強い連帯の気持ちを、そこに重ねていたからではなかろうか。
寒空に、今なお先の見えぬ状況の続く多くの被災地の人々へ、その力強く、輝かしい響きと歌声が届くことを祈りたい。
人間は、自分自身でコントロールできない怪物を生み出し、また自然の前には無力な生き物だが、それでも私たちは手を取り合って、前進しなければならない。痛みを分かち合い、光を分かち合いながら。
昨年末の『第九』は力強くそのメッセージを伝えていたと思う。(1月2日記)


丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

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