パリのアパートの隣人の一人はシリア人である。玄関が直接歩道に面した部屋なのでプライバシーにこだわる人には住み心地が悪いだろうが、社交的なわが隣人にとっては理想的ロケーションのようだ。ドアーの前に立って、通りかかる人を片っ端から友達にする。朝の常連は緑の制服を着た道路掃除のおじさんで、シリア人のふるまうコーヒーを飲みながら一服する。僕もときどき台所でコーヒーをごちそうになるが、なかなかの味だ。初めて彼の台所に招かれたとき、ひょっと棚の上を見るとキリスト教神学の専門書が無造作に投げ出してあった。
 去年はラマダンが8月だったので、わが隣人は朝4時前に食事の支度を始めた。ラマダンになると太陽がある間イスラム教徒は飲むことも食べることも出来ない。ヨーロッパの夏は日が長いから、ラマダンの掟を守るのは中東より大変だ。おまけにパリのアパートは午前7時前に音を立ててはいけない決まりがある。わが隣人は「食事の音が聞こえるかい?」と申し訳なさそうに聞いてきた。(なにしろこのアパートはとびきり遮音が悪い)。「聞こえるけど、気にしてない」と言うとほっとした様子だったので、すかさず「日本人は寝る前に風呂に入る。テレビで良い映画をやるときは、風呂に入るのが遅くなるけれど、うるさいかい」と聞くと「気にしない」という答えが返ってきた。有利な取引成立だ。
 さて今年は「アラブの春」。若者のデモによってチュニジアで大統領が逃げ出したのに続き、エジプトでも大統領が倒れ、イェーメン、バーレーン、リビア、シリアに独裁者打倒の波が広がった。わが隣人がこの「春」をどう迎えたのか、話しを聞くのが楽しみだった。ところが、3月20日にパリに来てみると、下の部屋は雨戸が閉じたまま。「祖国の闘いにはせ参じたに違いない。生きて帰ると良いが」と案じていると、意外に早く1ヶ月後に姿を現し、通りかかる人は「革命はどうだった?」と、声をかけて行く。英雄の帰還だ。

恐怖が消えるとき歴史は早足で進む

チュニジアとエジプトでは大きな流血なしに独裁者が退場したのにくらべ、シリアは大勢の市民が殺されている。リビアでは反政府側にも武器があり、米仏英が戦闘機を動員して反政府勢力を支援しているのと対照的に、シリアのデモ隊は非武装だ。銃はおろか、棒きれさえ持たない若者達を、戦車まで繰り出して射殺する。それでもまた数万人がデモに出る。無鉄砲とさえ見えるあの勇気はどこから出てくるのだろう。しかも、わが隣人に言わせると、アサド大統領ほど残虐な独裁者は世界中にいないのだそうだ。現大統領の父親のアサドは1982年にハマの住民1万人を殺した。子供まで無差別に撃ち殺したという。今回は息子のアサドとその弟が、権力を維持するには流血を見せつけておびえさせるしかないと、同じ手法をとりはじめた。それなのに、シリアの若者達は権力の残虐さを十分承知した上で、デモに行くことをやめない。それは歴史のある時点、ある場所で恐怖の感覚が薄れる不思議な現象が起こるからだ。
共産主義体制が次々崩壊した時も同じ現象が見られた。
●1991年にモスクワで軍とKGBがクーデターを起こしたとき、クーデターに反対する勢力の砦となったロシア議会周辺に行くと、人々の表情は驚くほど静かだった。ある男は「ニュースを聞いてから今日は一日中足がガクガクして震えが止まらなかった。でもバリケードの中に来たら怖くなくなりました」と正直に話してくれた。
●1989年にブカレストに行ったとき、ルーマニア人は「世界中から独裁者が一人もいなくなってもチャウシェスクは倒れない。東欧のほかの国が全部解放されてもルーマニアは自由にならない」と妙な確信をもっていたが、その後まもなく、チェウシェスク支持の大集会で花火か何かの爆発音が轟くと群衆が「独裁者を倒せ」と叫び始め、政権はあっけなく倒れてしまった。爆発音が人々の恐怖を吹き消したのだ。
●バルト三国がソ連からの独立を叫び始めたころ、ラトビア取材を手伝ってもらった女性ジャーナリストに「ソ連を相手に闘って怖くないのですか」と聞くと、「私たちは50年間怖がってきました。怖がるのはもうやめました」と明るい声で答えた。

 

きのうまでの恐怖が嘘のように消えてしまう、あの不思議な感覚が生まれるとき、歴史は一挙に歩みを早め、有無を言わせず新しい時代に突入するのだろう。そして、恐怖のない静かな高揚を経験すると同時に、世界が違って見えてしまう。突然のパラダイム・シフト(価値体系の劇的変化)が起こるのだ。イスラム世界の専門家オリビエ・ルロワは、「アラブの春」の若者達の間ではこれまでと全く違って、「陰謀理論が影をひそめた。すなわち、アラブ世界が不幸なのはすべてアメリカとイスラエルに原因がある、という糾弾が聞かれない」と指摘している(『ルモンド』2月13日)。陰謀理論といえば数年前チュニジアの取材旅行に招かれ、第一線のジャーナリストたちと話す機会があったが、彼らに「アメリカにも物わかりの良い人がいる。アメリカという悪を中心に世界のすべてが回っているように考えるのは非生産的だ」と説得しようとしても無駄だったのを思い出す。「ニューヨークの貿易センタービルに旅客機を突っ込んだのはアメリカだ。アラブ世界に侵略するきっかけをつくるための自作自演だ」といった陰謀説をいとも簡単に信じ込む、そんな図式が彼らの常識だった。その陰謀理論から解放されたとすると、天動説から地動説に移ったような大転換である。
わが隣人に「イスラエル非難のスローガンがないそうだけれど」と聞いてみたら、「そのとおり。私たちとイスラエルと共存するのに何の問題もない。それなのに、権力者どもが何かというとイスラエルを持ち出して、国民をだましてきた。お前等が貧しいのはイスラエルのせい、自由がないのもイスラエルのせい、すべての不幸はイスラエルから来ると信じ込ませたのだよ。」とけろっとした顔で言う。つい半年前あんなにアメリカとイスラエルを呪ったくせに・・・。僕が「オバマの政治感覚は鋭いね。ムバラク大統領にさっさと見切りをつけて街頭デモの若者を支持した。ブッシュだったらアメリカ外交に貢献してきたエジプトの現政権をあっさり切り捨てられなかっただろう」と言うと、「いやいや、アラブの独裁者を最初に倒したのはブッシュだよ。」とまるでアメリカのイラク侵入が「アラブの春」の遠因だったかのような皮肉まで飛び出した。
ニューヨークタイムズのコラムニスト、デーヴィッド・ブルックスも恐怖と陰謀理論の関連に触れ、「アラブ諸国民は過去数十年間のほとんどを恐怖による支配体制のもとで生きてきた。そうした条件下の人々は、陰謀説に共鳴しがちで、政治的受動性から抜け出せない。しかしいったん恐怖が弱まれば、違った思いが沸き上がり、我々の目撃したように、民主主義のために命を危険にさらすことさえ恐れなくなる」と書いている(3月3日)。

さまざまの民主主義かひとつの民主主義か

「アラブの春」のキーワードを一つ選ぶとすれば人間としてのdignity「品位・尊厳」の要求である。イスラム主義(イスラム法に基づくイスラム国家をめざす政治思想)や汎アラブ主義といったイデオロギーは背後に退き、具体的、現実的な要求を掲げている。わが隣人は「アサド一族とその仲間が国の富を独占しているから国民はますます貧乏になる」と街頭の若者達の気持ちを代弁してくれたが(彼自身は若者の親の世代)、目の前の不正に対する怒りから出発して腐敗追及、表現の自由、複数政党による選挙などを求めている。陰謀理論に踊らされ、イデオロギーに盲従するのは精神的奴隷であり、「アラブの春」は、これらの隷属からの解放、人間としての品位回復をめざす運動だというのが多くの専門家の一致した意見だ。
「品位」といってもあいまいだが、コレージュドフランスのデルマス=マルティ教授の講義にわかりやすい用例があった。「国連の世界人権宣言は、殺すことを必ずしも禁止していません。戦争を人権侵害と規定していないからです。しかし、拷問に関しては一点の曖昧さもなく禁止している。拷問は人格の品位を傷付けるからです」と言うのだ。日本で良く聞くのは「人の命は地球より重い」だが、人権宣言の精神は「人の品位は生命より重い」であり、自由が生命に優先する。
ではその「品位」の中身は欧米民主主義と同じなのか、それともイスラム世界にはイスラム的人格の「品位」が存在するのか。ハンチントンの『文明の衝突』はヨーロッパ文明とイスラム文明には根本的対立点があり、欧米はイスラム世界にできるだけ関わるなと警告したが、この理論は「アラブの春」によって破綻したのだろうか。そもそも民主主義は人類共通の普遍的原理なのだろうか、それとも文明が違えば民主主義にも微妙な差ができるのだろうか。
作家としても知られるアブデルワハブ・メデブ教授は民主主義が西欧の発明だからといって、それを取り入れることに劣等感を持つ必要はないと言い、「民主主義は一つ」「民主主義を生んだ啓蒙主義は人類の共有財産」と明快だ。だからチュニジアやエジプトで「死を賭してデモをする勇気を示した若者達は、ただ一つ、自由な人間であることを求めたのだ。彼らは、あるいは中国人だったかもしれない、あるいはビルマ人だったかもしれない。イスラム―西欧の二分法を超えている。」と文明による違いを否定する。(『ルモンド』4月22日)
これに対し、若い世代に人気の神学者タリク・ラマダンは西欧直輸入の民主主義では借り物の衣装みたいにしっくり来ない、ひ弱な民主主義にしか育たないと感じているようで、民主主義のルーツをイスラムの中にたどる必要を主張している。といっても、イスラム宗教国家をめざす原理主義者とは違い、選挙による三権分立の平等な国家という原則は普遍的価値として認める。

 

ただ、民主化の議論の中に宗教が組み込まれるのを排除すべきではない、なぜならアラブにはフランスなどと全く異なった政教分離の歴史があるのだからとこう警告する。「チュニジアのベン・アリ、シリアのアサド、イラクのフセイン、エジプトのムバラクが国民に押しつけた政教分離は宗教を支配し、従属させる独裁の手段だった。アラブ世界の歴史を振り返ると、社会の世俗化はいつも植民地化あるいは独裁と結びついていた。」(『ルモンド』4月22日)。
政教分離=独裁・植民地化というラマダンの図式の裏側はイスラム化=民主化だが、こちら側も証明済みで、それはトルコだ。オスマン帝国時代のトルコは多様な民族を包み込む共生の力があったが、政教分離の共和国になると、アルメニア人虐殺、クルド文化抹殺の非寛容国家に変わった。それが2002年エルドアン首相のイスラム政党に政権が移って以来、際だって民主化が進んだ、つまりイスラム=民主化に成功したのである。若い世代ほど宗教に熱心で、デモに出た若者達の大多数が個人の内面の信仰としてイスラムを信じているアラブ世界の現状を考えると、メデブのように、イスラムと民主化を厳しく切り離すより、若者の信仰の力を民主化のエネルギーにつなごうとするラマダンの方が現実的に見える。
実はヨーロッパも民主主義が普遍的原理かどうか悩んでおり、民主主義のルーツ探しが盛んだ。そんなおり、コレージュドフランスで聖書学、アッシリア学の世界の学者を集め「人はどうやって預言者になるか」のシンポジウムが開かれたのを聞いて、はっとした。というのは以前、天安門事件にからんで中国に帰れなくなった学者に「なぜ中国にはソルジェニーツィンが出なかったのか」と尋ねたとき、彼は「中国の歴史には預言者がいないからね。知識人が社会と政治の外に立つことは中国人には想像できない」とつぶやいたのが記憶に焼き付いていたからだ。たった一人で、政治権力、宗教権力と対決する預言者というモデルを持つヨーロッパと、預言者を持たないアジアでは知識人の良心のあり方が違うのかもしれない。ドイツでは第二次大戦中、反戦ビラをまいて処刑された女学生ゾフィー・ショルがいま若者の間で最も人気の高い国民的英雄とされているが、日本なら非国民として抹殺されるだけだろう。中国の友人の言葉を聞いて以来、エレミア、ソルジェニーツィン、ゾフィー・ショルが人間の品位をぎりぎりの状況で証すいわば「預言者の系譜」として一つながりに連想されるようになった。
さて、「アラブの春」は、これから敗北、悲劇を経て、元の木阿弥に終わる国も多いだろう。それでも、若者たちが恐怖を忘れ、人間の品位に目覚めた「春」を記憶に留めることができるなら、その国の歴史は元と同じではない。自国の歴史にいわば高貴な輝きが付け加わるのだ。フランスを代表する知識人エドガール・モランが、フランス革命を回顧したヘーゲルの言葉「それは壮麗な日の出であった」を引用して、「アラブの春」への思いを述べているのも(『ルモンド』4月25日)、当面の政治より国民の心のありように注目しているからに違いない。

松浦茂長(まつうら しげなが):1945年、京都府生まれ。東大文学部卒。パリ・ソルボンヌ大留学。フジテレビで主に海外ニュースを担当。英BBC海外放送出向、モスクワ特派員、パリ支局長など15年間ヨーロッパで生活し、定年後半年はパリで暮らす。

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