音の見える風景

#29.最もカンザス・シティを気にかけている人 ー チャック・ヘディックス

1.チャック・ヘディックスという人
2.プロモーション紙の先駆け『ペニー・ピッチ』時代
3.ミルトン・モリスの想い出
4.KCUR 89.3 FM「ザ・フィッシュ・フライ」
5.マー・サウンド・アーカイブ( Marr Sound Archives)
6.ラブッデ・スペシャル・コレクションズ ( LaBudde Special Collections)
7.ライターとしてのチャック・ヘディックス氏と今後



1.チャック・ヘディックス(Chuck Haddix)という人


 ロス・ラッセルによる『カンザス・シティ・ジャズ〜ビバップの由来』(Jazz Style in Kansas City & the South West - 1973年発刊) は一時期、私のカンザス・シティ・ジャズについてのバイブルであった。ロス・ラッセルはチャーリー・パーカーのマネージャーでもあり、レコード会社「ダイヤル」を立ち上げ、またパーカーの伝記『バードは生きている』の著者としても有名である。彼が ”カンザス・シティ・ジャズ” を書くにあたり助言してくれた人達の名前を、この本の序文の中に80人程あげている。ミュージシャン、クラブオーナー、雑誌編集者、ロバート・ライズナー(『チャーリー・パーカーの伝説』の著者)まで。彼らを”いまだにカンザス・シティの事を気にかけている人達(who "still care")として。
ロス・ラッセルは1909年生まれで2000年に他界している。2011年の今、もし彼が生きていたら、間違いなくこの ”いまだにカンザス・シティの事を気にかけている人達” に付け加えるだろう人がいる。“最もカンザス・シティを気にかけている人”として。 ロス・ラッセルより42歳若い、チャック・ヘディックス氏である。

 現在、チャック・ヘディックス氏(以下、チャック)はUMKC、ミラー・ニコラス・ライブラリー、マーサウンド・アーカイブスのサウンド・スペシャリストという肩書きを持つ。( University of Missouri - Kansas City, Miller Nichols Library、 Marr Sound Archives)
チャックについては、このコラムの第6回目に一度紹介している。

 私はチャックの事を ” 私の知る限り、現在チャーリー・パーカーの最高権威であり、彼と共有する時間は私のカンザス・シティ訪問のハイライトの一つでもある。" と書いた。チャックについては最初に会った時から驚きの連続だった。そして彼の事を知れば知る程、新しい発見とスリルがあり、非常に興味深いバックグラウンドを持つ人として敬意を表している。
チャックは自分の事をリサーチャーであり、ヒストリアンであり、ライターである、という。
カンザス・シティ・ネイティブである彼は、この地に対して深い愛情と誇りを持ち続けている。この地の一番の魅力は ”良い人達が沢山いる事。皆フレンドリーで、いつも手助けしてくれる事” だそうだ。彼のカンザス・シティ・ジャズに対する情熱と研究欲、エネルギーは並々ならぬものがある。常に控えめで誰に対しても決しておごらず、非常にデリケートでシャイな面もある人だが、自分のテリトリーの話をする時の鋭い視線は相手を絶対に離さない。すべてが几帳面でこちらが聞けば懇切丁寧に、自分の知る限りを教えてくれる。ユーモアたっぷりの大変な紳士である。
そのチャック・ヘディックス氏がマー・サウンド・アーカイブスでの職を得るまでの興味深い経歴と共に、彼が現在関わるUMKC ミラー・ニコラス・ライブラリー内の2つの部門 ”マー・サウンド・アーカイブス”と”ラブッデ・スペシャル・コレクションズ”(LaBudde Special Collections) について改めて紹介したい。
地元ジャズ紙 『Jam』の編集長ロジャー・アトキンソン氏が「このライブラリーはカンザス・シティ・ランドマークのひとつで、宝が待っている。」と、以前同誌に書いていた。詳しく知れば知る程、ジャズに関わる人達にとっては”宝島”であると思えて来た。



2. プロモーション紙の先駆け『ペニー・ピッチ』時代


1951年生まれのチャックは地元のパブリックスクールからUMKCへ進学する。大学での専攻は" English- 英語”だった。彼は詩人になりたかったのだそうだ。

音楽に関しては、子供の頃、ジェリー・ロール・モートン等のラグタイムを聞いて育ち、ハイスクール時代はエルヴィス・プレスリーとビートルズの大ファン。いかにもこの世代、ベビーブーマーらしい。特にエド・サリヴァン・ショウで見たビートルズ(1964年)には大きな感動を受けた様だ。その頃から地元のアンダーグラウンド・ラジオ局の放送を毎日、毎日、聴き続けていた。特に1960年代〜70年代初期はどっぷり浸かっていたようだ。これが、後に彼がホストを務めるラジオ番組やマー・サウンド・アーカイブスの仕事へと繋がって行く。

チャックは大学卒業後、地元にあるペニー・レーン(Penny Lane)レコード店で働き始める。1978年の事だ。
この店は彼が働きだす以前はジャズとブルースを中心に売る店だった。チャックと彼の友人達がこの店の品揃えのジャンルをポップスやロックン・ロールへと拡大させていった。
ある時、チャックはこの店の販促の為に広報誌を発行するアイデアを思いつく。それは、1980年7月、『ペニー・ピッチ』( Penny Pitch)として発行され、以後月1回の発行となる。現在多くのレコード店、ミュージックストア等がプロモーション紙を発行しているが、『ペニー・ピッチ』はまさにその先駆けでもあった。ブルース、ジャズ、ロック、ポップス、ブルーグラス、ザディコからクラシックまで実に幅広いジャンルのアルバムリリース情報、ミュージシャン達のインタビュー、コンサート情報、数々のニュース、ライブレビュー、批評、読者からの投稿等を掲載している。ウェブ・サイトを見て頂くと解るが、1980年代のアメリカ音楽シーンの様子が克明に窺える。

『ペニー・ピッチ紙』は店の販促のみならず、カンザス・シティの多くの音楽シーンや文化面にもに影響を及ぼし貢献した。ライ・クーダーがカンザス・シティに来た時、当時のライ・クーダーのレーベルだったワーナーはこの街でチケットが売れるとは全く予想していなかった。それを『ペニー・ピッチ紙』を支持する地元ラジオ局がインフォメーションしたら、チケットはたちまちソールド・アウト。ライ・クーダーがもの凄くビックリしたという話もある。
当時のアメリカはベトナム戦争集結後間もなく、元ヒッピーのリベラルでラディカルだったチャック達には反体制の政治絡みのネタは山程あった。音楽ネタだけでなく、書く話題には事欠かなかったようだ。チャックはこの『ペニー・ピッチ紙』で書く事の基礎を学んだという。

『ペニー・ピッチ紙』は1982年以降、『ザ・ピッチ』(The Pitch)となり、カンザス・シティのエンターテイメント紙として30年程続き、現在も毎週発行されている。(コラム#26に一部掲載
2010年春、『ピッチ紙』創刊30周年にあたり、過去の『ペニー・ピッチ』はチャック等によってデジタル化され、UMKCのライブラリーにおさめられている。これは現代アメリカ大衆音楽史の一部として大変貴重な資料である事は言うまでもない。

※ペニー・ピッチ・オフィシャル・ウエブサイト
http://library.umkc.edu/spec-col/pitch/issues/1980.htm

※ザ・ピッチ・オフィシャル・ウエブサイト
http://www.pitch.com/




1970年代、20代後半のチャック。
ペニー・レーン・レコード店で。
(チャック・ヘディックス氏プライベートコレクション)


ザ・ピッチ紙ウェブ・サイト。
2010年に発行30周年にあたりデジタル化されたもの。



3. ミルトン・モリスの想い出


1970年代後半、チャックがペニー・レーンで働き始めた頃、彼は“ミルトンズ・タップ・ルーム"(Milton's Tap Room、1951~1983年) というジャズクラブに出入りするようになる。このクラブのオーナー、ミルトン・モリスはロバート・アルトマン監督の映画 『カンザス・シティ』(※)に出てくる潜りの酒場 「ヘイヘイ・クラブ」(Hey Hey Club) のオーナーでもある。ドキュメンタリー映画 『カンザスシティの侍達』(The Last Of Blue Devils) にも登場している。(http://www.jazztokyo.com/guest/kcj/v02/v02.html

ミルトン・モリス(1911年生まれ)は禁酒法がまだあった1930年代からカンザス・シティ・ジャズのメッカであったカンザス・シティのダウンタウンに幾つかのクラブを構えていた。1983年に72歳で亡くなるまで、街の人達とミュージシャンにジャズの溜まり場を提供し続けていた。そこには一般市民から大物政治家や著名人まで集まっていた。1940年代、白人のクラブオーナーがまだあまり黒人ミュージシャンを雇わなかった時代、ミルトンは積極的に黒人ミュージシャン達を雇っていたようだ。ミルトン・モリスはカンザス・シティ・ジャズの全盛期を生き抜いて来た、カンザス・シティの生き字引のような人である。

チャックは”ミルトンズ・タップ・ルーム“に頻繁に出入りし、オーナーのミルトンと親しくなる。そして本格的にジャズにのめり込んで行った。 チャックはここでの楽しい想い出は山程あるという。そこはライブ演奏をする所ではなく、ジャズのレコードをかけていた所、といっても日本のジャズ喫茶とはいささか様子が違うようだが。ミルトン・モリスのコレクションは膨大で伝説的なものだったらしい。
ミルトンは店のバーカウンターの後ろに“リクエストお断り!”と書いて貼っていた。”いちいち、皆さんのリクエストには対応しません。お客様のご協力に感謝します。ただし音楽は無料です。”と付け加えて。
また、店の壁には沢山の不渡り小切手が貼ってあり、その一つにチェット・ベイカーのものがあったという。
カウント・ベイシーとミルトンは特に親しかったようだ。ベイシーが街にやってくると、必ずミルトンの店の前にリムジンカーを止めて、ミルトンと雑談をして行ったようだ。ベイシーはよくポークリブの厚切りを好んで食べていた。彼はいつもジュウジュウと音をたて、つばを吐きながら肉にかぶりつき、それを見る周りの人達は誰もポークリブをオーダーしなかった、という逸話があるが、チャックはそれを目の当たりにしている。

ミルトンはチャックにとって父親の様な存在で、彼の事を”チャッキー”と呼んでいた。いつも素晴らしいセンスの高級なセーターを着ており、ジョークが大好きで究極の悪ふざけ者だった。例えば、しょっ中25セント硬貨をクラブの床に貼付け、誰が拾うかずっと見て楽しんでいたりした。反対に、大変シリアスな面もある人だった。ある夜、ホームレスがミルトンのクラブに来て彼を罵倒した。チャックはこれを見て『何故その男を店から放り出さなかったのか?』とミルトンに尋ねた。ミルトンは『我々が民主主義の中で生活して行く為に払う代償の様なものだ。』と静かに言ったという。
とにかく、チャックはミルトン・モリスからとてつもなく多くの事を学び、ミルトンがチャックの人生を方向付けた、と言っても過言ではない。
私にとってはほぼ同じ世代の友人が、映画や書籍でしか見られなかったミルトン・モリス本人と深い親交がありその人にを影響受けた、というのは驚きでもあり羨ましくもある。

※チャックはロバート・アルトマン監督の映画『カンザス・シティ』の音楽コンサルタントも務めている。また、カンザス・シティを舞台としたポール・ニューマン主演の『ミセス&ミスター・ブリッジス』についても同じ様に映画製作に貢献している。




ミルトンズ・タップ・ルームでミルトン・モリス氏と。
1970年代後半。
(チャック・ヘディックス氏プライベートコレクション)


ミルトンズ・タップ・ルーム。現在は存在しない。
(カンザス・シティ地元ジャズ紙”Jam"より)



4. KCUR 89.3 FM「ザ・フィッシュ・フライ」


1984年、チャックはペニーレーンともう一つミュージック・エックスチェンジ(Music Exchange)というレコード店でも働いていた。同時にハーリングス( Harling's Upstairs)というジャズクラブでコンサート等をプロモートしていた。このクラブは現在も存在し、賑わっている。

この年の10月、チャックは地元ラジオFM局のKCUR(KCUR 89.3 FM-Kansas City University Radio)にジャズ・プロデューサーとして迎えられる。当初、KCURでは「ジャズ・プレイス」という番組を週3回夜の10時から真夜中まで放送していた。1985年からチャックは 「ザ・フィッシュ・フライ」(The Fish Fry)という番組を始めた。これは彼自身のアイデアによるものである。

番組タイトルの 「フィッシュ・フライ」とはアフリカンアメリカンの伝統であるレントパーティーのことである。誰かお金が必要な時、その周りの人達が集まり 「フィッシュ・フライ・パーティー」を催す。そこではフライド・キャットフィッシュと密造酒が振る舞われ、通常ピアノプレイヤーが余興をやる。そこで金銭のやり取りがある助け合いパーティのことである。(日本で言うと”無尽”に近いかもしれない)チャックはこの番組のネーミングは最初 「The BBQ Hour」にしようと思っていたが、何だかあまりゴロが良くなかった。そこでどうしようかと思案していたある夜、ラジオを聴いていたら、偶然ルイ・ジョーダンが <サタデー・ナイト・フィッシュ・フライ>(Saturday Night Fish Fry)という曲を演奏していたのを耳にする。そこで、『フィッシュ・フライで行こう!』と決めたそうだ。
現在でも、この番組の冒頭には必ずルイ・ジョーダンの<サタデー・ナイト・フィッシュ・フライ>が毎回流される。

「ザ・フィッシュ・フライ」はブルース、ソウル、R& B、ジャズ、ザディコ等を毎週金曜土曜の夜8時から12時までぶっ通しでプレイする音楽番組である。番組開始から現在に至るまで、時間や曜日に多少の変更はあったものの、チャックはこの25年間にざっと見積もって約120,000曲を選曲し、番組で紹介していることになる。 リスナーからのリクエストもあるだろうが、ほとんどはチャック自身が選曲しホストを務めている。時には天気予報やニュースも交えて。日本でも土曜と日曜の午前中にインターネットでライブで聴く事が出来る。
チャックはこの番組が大好きで、この番組に関わる事を本当に楽しんでいる。彼の持っている膨大な情報量と知識、音楽に対する情熱がこの番組を通しても窺える。
恥ずかしながら、私はこの番組を通して初めてザディコというカテゴリーの音楽がアメリカで根強い人気がある事を知った。
「ザ・フィッシュ・フライ」は2010年の夏、25周年を迎えた。2010年10月に25周年記念を祝い、盛大なパーティーと特別番組が放送された。
この番組がまだまだこの先も長く続いていく事を願う。

※「ザ・フィッシュ・フライ」番組ホームページ
http://www.kcur.org/fishfry.html




"ザ・フィッシュ・フライ"トレードマークのナマズ。



5. マー・サウンド・アーカイブ( Marr Sound Archives)


チャック・ヘディックス氏は1987年1月にUMKC、ミラー・ニコラス・ライブラリー内にあるマー・サウンド・アーカイブスにディレクターとして就任する。
マー・サウンド・アーカイブスはゲイロード・マー(Gayload Marr)というUMKC・コミュニケーションズ・スタディズでメディアの歴史について教える教授の名に由来する。マー氏は34.000ものジャズを中心とするレコーディング・コレクションをUMKCに寄贈し、そこからマー・サウンド・アーカイブの設立が始まった。設立当初はライブラリーの中は何もない空っぽの部屋だった。チャックはまず、マー氏によって寄贈されたコレクションの目録作りをし、その財産(34,000のコレクション)の讓受人となり、マー財団を立ち上げた。以後、チャックはここでの仕事を現在に至るまでメインとしている。
公式ウェブサイトを見て頂くと解るが、そのコレクションの数たるや膨大なものである。始まりの34,000も凄い量だが、現在そのコレクションはレコーディングだけでも300,000に増えている。この約20年強の間にチャックはコレクションを10倍に増やしたのである。多くはコレクターの寄付による物である。現在はチャックを始めとする3人のスタッフが資料収集、整理、管理を行っている。

チャックは、レコーディングについては特に10インチ78回転版のファースト・プレス(初回のプレス盤)のコレクションが自慢だという。『本当に珍しい物が沢山あるんだよ。とくに僕のお気に入りはデューク・エリントン、チャーリー・パーカーやジェリー・ロール・モートン等のジャズジャイアンツの物なんだ。
デューク・エリントンに関しては1920年代後半のブランスウィック・レコーディングが特に気に入ってる。ミュージシャン達が録音した数々のファースト・プレス盤を正しい機器で再生すれば、ビックリする程素晴らしい音であることが解るよ。チャーリー・パーカーのダイヤル・レーベルのファーストプレス版も最高のお気に入りさ!パーカーのダイアル・レーベル・シリーズ(78回転盤)を聴くに勝る物は無いだろうね。それを聴いてると、まるでスタジオで彼のそばに立っているような感じがするんだ!ロス・ラッセルはパーカーの録音の異なったテイクをいくつも発表したので、そのどれを聴いてもいつも、次から次へとワクワクするような驚きを楽しむことができるんだよ。』と、得意げに話す。

その他のレコーディング・コレクションでは16インチ・トランスクリプションが30.000。オープンリールテープが数百。ワイヤーレコーディングが少しある。(といっても、かなりあるのだと思う。)これもチャックのお気に入りで、ラジオ番組の年代物の録音があるそうだ。彼自身が若かりし頃聴いた物も数多くあるようだ。他にレイモンド・スコット・レコーディングやカンザス・シティ・ジャズ・フェスティバルのレコーディング(1965~1971年、カウント・ベイシーやウディ・ハーマンを始め多くの珍しい演奏がある)なども、貴重なジャズの資料としてここにある事を誇り思う、という。
コレクションの多くはジャズ。カンザス・シティ・ジャズが充実しているのは当然の事。他はロックン・ロール、ポップ、ロック、C&W、 R&B、ブルーグラス、ザディコからオペラ、クラシックまで様々なジャンルの物がある。年代的には1920年代から1990年代まで広範囲に及ぶ。おそらく、レコーディングの内容、質と量共に、世界最高水準クラスのコレクションだろう。これらの録音はマー・サウンド・アーカイブズに来れば誰でも聴く事が出来る。

レコーディング・コレクションの部屋の中には、古いラジオや蓄音機、円盤式オルゴールやなどのオーディオ機器類のコレクションも並ぶ。また、その横には広告類や雑誌や新聞記事カタログ類等があふれんばかりに山積み状態になっている。

※マー・サウンド・アーカイブス・ウエブサイト
http://library.umkc.edu/marr




UMKC・ミラー・ニコラス・ライブラリー入り口


マー・サウンド・アーカイブス


チャック・ヘディックス自身のオフィスで。


チャックのオフィス内。
アナログレコードをデジタルに変換するオーディオ機器類が並ぶ。



マー・サウンド・アーカイブの部屋に入った所。
年代物の蓄音機が並び、奥がLP コレクションの棚。

円盤形ディスクをプレイするミュージック・ボックス。

ジューク・ボックス。
1950年代の物らしい。

かなり年代物のクリスタル・ラジオ。

LP コレクションの棚にディスプレイされたディスク。

LP コレクションの棚。
この写真の棚の10倍以上はこの部屋に保管してある。

アーティスト別に整理されたLPコレクション。
   



6. ラブッデ・スペシャル・コレクションズ (LaBudde Special Collections)


ここでは、4人のスタッフにより、主として写真、楽譜、広告、新聞や雑誌の記事などのコレクションが管理されている。( ラブッデというのはスペシャル・コレクションの元ディレクターでヘッドであったケネス・ラブッデの名に由来する。)

写真のコレクションはおよそ10.000枚に及ぶ。主としてミュージシャンの写真が中心だが、昔のカンザス・シティの風景や建築物、風俗等の写真も含まれる。
チャックが一番誇りにしている写真のコレクションは”バック・クレイトン・コレクション”。バック・クレイトンは優れたトランペット・プレイヤーだけでなく、写真家であり、写真のコレクターでもあった。(http://library.umkc.edu/spec-col-collections/clayton)
デイブ・デクスター氏によるコレクションも、その膨大な量は目を見張る物があり、充実した内容は必見である。(http://library.umkc.edu/spec-col-collections/dexter
アナログ写真のアルバムは勿論山程あるが、それらはデジタル処理されて管理されている。これらはデジタル・プロジェクトと呼ばれる。その中でも特に必見は、ミュチュアル・ミュージシャンズ・ファウンデーションに展示してある写真のオリジナルである。すべてデジタル化され、"ミュージシャンズ・ユニオン・ローカル 627”の歴史と共にウェブ・サイトで公開している。(http://library.umkc.edu/spec-col/627mmf.htm)
また、2000年から2001年にかけてにニコラス・ライブラリーで、チャックとそのスタッフらの監修のもとに催された、「Kansas City : Paris of the plains, The Jazz Age in Kansas City, 1920~1940」という展示会のコレクションもデジタル・プロジェクトの一環である。カンザス・シティ・ジャズ華やかなりし頃の様子が数多くの資料から伺える。
http://library.umkc.edu/spec-col/parisoftheplains/announce

私が最初にチャックにこのセクションに連れて行かれた時の事は今でも忘れない。5センチから10センチ程の写真のファイルを数冊、ドン!と私の目の前の机の上に置かれ、『凄いだろう、見てご覧よ! 』と次から次へとページをめくられ、目が回る程忙しかった。それほど古くない物(と言っても20年以上前の写真だが)の中にはカウント・ベイシーの1984年のお葬式の際、棺に入った御大の写真も何枚かあり、今でも目に焼き付いている。チャックのオフイスを訪ねれば、当然毎回この写真類を見せられる訳だが、全部目を通すのに一体どれ程の時間が必要か皆目検討がつかない。

前回訪れた時は写真の他、1934年にシカゴで発行された『ダウンビート』マガジンの創刊号を含めた発行初期の数冊や、古い楽譜類や新聞記事を見せてもらった。楽譜のコレクションは40.000に及ぶ。チャックは楽譜についてもバック・クレイトンの物は特別だという。私がこの誌面で紹介している物は、特にチャックの一押しアイテムだけで氷山の一角である。とにかくコレクションは本当に山程あるのでホームページを覗いて頂きたい。

※ラブッデ・スペシャルコレクション・ウエブサイト
http://library.umkc.edu/spec-col-home

※レコーディングから写真まで、すべてのコレクションはカタログ化され、MERLIN( Missouri Education and Research Libraries Information Network)から検索が可能となっている。
http://laurel.lso.missouri.edu/search~S3




ショウケースの中には本物の古い写真、記録やジャズグッズがいっぱい。


ラブッデ・スペシャル・コレクションのメインであるミュージシャンの写真ファイル。


古い写真をデジタル処理している所。


オリジナルのアナログ写真。



楽譜、雑誌、その他書類が整理、保管された棚。

何か面白いコレクションがないか探しているチャック。

古い楽譜類。

”タイガー・ラグ”楽譜表紙。
1930年頃の物。保存がとても良い。

”タイガー・ラグ”楽譜。
これはストック・アレンジメント(ビッグバンド用にアレンジされた)の楽譜。

ダウン・ビート・マガジン。
1936~37年のファイル。

ダウンビート・マガジン。
1936年。

ダウン・ビート・マガジン。
1年ごとに本の様にファイリングされている。
 



7. ライターとしてのチャック・ヘディックス氏と今後


チャックは個人で1920年代からのカンザス・シティのアフリカン・アメリカンを対象にした(『カンザス・シティ・コール』紙)の新聞記事を大変几帳面に丁寧にファイリングしている。また、1854年から1942年にカンザス・シティで発行された最も古い新聞、『カンザス・シティ・ジャーナル・ポスト』)も彼の重要な情報源であるという。さらに珍しいミュージシャンの出生記録や雇用記録、借用書まで、きちんと整理管理している。“ジェイ・マクシャンの何か面白いものある?”と聞けば瞬時にいくつか机の上に並ぶ。

チャック・ヘディックス氏のバックグラウンドが如何に膨大か、このコラムを読んでくださっている方々にはお解りいただけたと思う。
世界中に、このようなジャズ研究者は何人かいるだろう。彼の一番の強みは、カンザス・シティ・ネイティブである事を生かし、自分で様々な事を見聞きし、自分の足で情報を得て彼自身の物にしている事だろう。以前このコラムでも触れたが、“資料はどうやって集めているの?”と言う私の問いに、”寄付以外は自分でこの街の写真屋や古本屋などを片っ端から尋ねて何かないかチェックしている。”と答えていた。

フランク・ドリッグス氏との共著『カンザス・シティ・ジャズ〜ラグタイムからビバップまで』(2005年発刊)は彼の調査、研究の集大成の一つだろう。
この本は、私の新しいカンザス・シティ・ジャズのバイブルとなっている。
第2回目に稲岡編集長により既に紹介済みである。(http://www.jazztokyo.com/guest/kcj/v02/v02.html

現在、チャックは彼自身の調査、研究に基づいたチャーリー・パーカーの伝記の執筆をほぼ終えようとしている。『チャーリー・パーカーの何があなたをそんなにバード狂いにさせるの?』と聞くと、『チャーリー・パーカーは常にすべてのジャズ・ミュージシャンにとって最も影響力のある、とてつもなく興味深いヤツなんだよ!』と。
また、『じゃあ、カンザス・シティ・ジャズの何が一番魅力なの?』と聞けば『いつでも気楽に足でリズムが取れるじゃないの!』と返って来た。常にリラックスし自然体で物事に取り組むのもこの人の魅力だろう。

チャックの次なる目標は、彼が10代〜20代に最も影響を受けた、カンザス・シティ・ジャズとは切っても切り離せない彼のもう一人の父親、ミルトン・モリス氏について書く事だそうだ。そのタイトルを ”To Keep Moving and Grooving" として。
とてつもなく面白いカンザス・シティ・ジャズに関する本がまた1冊増える事だろう。

最後に、読者の皆さんがアメリカに行かれる時にチャンスがあれば、カンザス・シティを尋ね、このUMKC、ミラー・ニコラス・ライブラリー内にある”宝島" マー・サウンド・アーカイブスとラブッデ・スペシャル・コレクションを訪れる事を是非お薦めしたい。カンザス・シティはアメリカのど真ん中に位置する。そのハート・オブ・アメリカに相応しい、アメリカが誇る最大の文化であるジャズとその歴史を垣間見る事が出来る。ジャズに関わる人達にとって、ここを訪れる事は大きな楽しみと喜びが必ずあるはずだ。そこで、”今でも最もカンザス・シティを気にかけている最高にクールな人” チャック・ヘディックス氏に出会え、案内してもらえたら幸運な事この上ないだろう。




チャックのオフィスで。
カンザス・シティ・コールのスクラップ・ファイル。
この引き出しが3段、1920年代の物からびっしり整理されている。


デッカ・レコード”Hootie Blues" 録音の為の契約書。
契約書の右下にチャーリー・パーカー、ジェイ・マクシャンのサインがある。
1941年4月30日の物。


チャックらが監修した写真展“Kansas City Paris of the Plains"のポスターの前で。


望月由美

竹村 洋子:美術学校卒業後、マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、 カンザスシティ中心にアメリカのローカルジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。

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FIVE by FIVE 注目の新譜


NEW1.31 '16

追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄


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