#  923

『Simon Nabatov Solo/Spinning Songs of Herbie Nichols』
text by 伏谷佳代


Leo LR632 (2012)

サイモン・ナバトフ(Simon Nabatov :pf)

1. 2300 Skiddoo
2. The Spinning Song
3. Blue Chopsticks
4. Lady Sings the Blues
5. Sunday Stroll
6. The Third World
7. Terpsichore
8. Twelve Bars

2007年9月22日@ケルン・Loft
エンジニア:クリスチャン・ヘック(Christian Heck)
マスタリング:ラインハルト・コビィアルカ(Reinhard Kobialka)@トパーズ・スタジオ
ライナー・ノーツ:スチュアート・ブルーマー(Stuart Broomer)
カバー・デザイン:エーリッヒ・テネタ(Erich Teneta)
プロデューサー:サイモン・ナバトフ/レオ・フェイジン(Leo Feigin)

ナバトフ流・複眼と融合が拓く、ハービー・ニコルスの新地平

ハービー・ニコルス(1919〜1963)といえば、ビリー・ホリデイの歌う”Lady Sing the Blues”である。ヨーロッパ・ジャズのファンならば、つぎに来るのがミーシャ・メンゲルベルグのアルバム『Regeneration』か。1979年モスクワからニューヨークへ移住したばかりのサイモン・ナバトフも、ある日中古レコードショップでミーシャのこのアルバムに出会い、以来ハービー・ニコルスは彼のアイドルであり続けたという。実はハービーとサイモンの間にはもう一つ共通項があり、ふたりともクラシックの素養が非常に高く、バルトークやプロコフィエフなどに大きなシンパシーを寄せているところだ (ご存じサイモンはモスクワ音楽院付属グネーシン音楽学校とジュリアード音楽院で学んでいる。余談だが、グネーシン時代はかのイーヴォ・ポゴレリッチとも共に学んだ仲だという)。事実、サイモン・ナバトフのピアニズムにみる巨大なスケール、そのニュアンスに富んだ無尽蔵の音色の色彩、二手とは信じがたいほどのアクロバティックな跳躍力、悪魔的ともいえるリズムの細分化能力、などはジャンルの別を不問にする第一級のピアニストにのみ見られるものだ。ひとつのアクションが絶えず多面体の効果となって空間に横溢する。音の軋みから無数に口を開けるほの暗い断層へと突き落とされるスリル...ナバトフを聴くおおきな醍醐味といえよう。

そのような彼だからこそ、ハービー・ニコルスの作品を扱っても、単なる解釈ヴァージョン集には決してならない。ニコルスのメロディはたしかに随所で顔を出すが、カレイドスコープ的に変幻するナバトフ流リリシズムのなかで、定点をもつことはない。スピニング、という単語が生みかねない語弊...既存のマテリアルを用いての「繋ぎの妙」ではないのか、という愚問。しかし、そのマテリアル化のあり様こそがまさにミソなのだ。切れ切れのメロディ、らせん状にワープしつづける原曲、といった現象はあくまで表層である。無音の部分や原型を留めない部分にどれだけハービー・ニコルスが君臨するか、が腕の見せ所である。例えば、2. The Spinning Song。半音階でゆるゆると下降してゆく個々の瞬間は、まさにオリジナルの解体であり同時に拡大である。広がってゆく襞(ひだ)の夥しさは、いかに原曲が豊かなものかを示す。ナバトフといえば「フリー・フォーム」だが、フリー特有のパラレル性と主観の強さの隙間からも、轍(わだち)となってニコルスが躍り出る。名曲4. Lady Sings Bluesでは、ビリー・ホリデイ流のスロー・テンポは失われ、ぶっきらぼうとも受け取れるラフなテーマの提示がある。しかし、中盤から微弱音により展開される、ほとんど静止せんばかりのドローンと残響部にも、作曲家の影がリズムとして鼓動のようにキープされるのが不思議だ。締めの8. Twelve Barsは、ニコルスが生前録音を残さなかった1曲。いわば解釈のみで後世に伝わる曲だ。ナバトフは小粋なブルースから流麗なインプロへと軸をずらしてゆくが、途中で投げ出したように唐突な消失で幕を閉じる。今後も続く蜜月を示唆しているようでもあり、手本が残されていない以上あまり勝手なこともできない、というブラック・ユーモアのようでもあり...。縦横無尽なインプロヴィゼーションの内部で、作曲家との活発な交感は成熟してまろやかさを増してゆく。複眼と融合の楽しみに貫かれたアルバムだ(*文中敬称略。伏谷佳代/Kayo Fushiya)。

【関連リンク】
http://www.nabatov.com/
http://www.leorecords.com/?m=select&id=CD_LR_632

http://www.jazztokyo.com/five/five769.html

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