黒人詩人、戯曲家、評論家リロイ・ジョーンズ(後にアミリ・バラカと改名)は、ジャズファンには『ブルースの魂』や『ブラック・ミュージック』の著者といったほうがわかりやすいかもしれない。60年代最もラジカルな黒人インテリの一人として注目されたリロイ・ジョーンズだが、ビレッジに住むボヘミアンの一人だった。当時の妻ヘティと『ユーゲン』というリトル・マガジンを1958年に始める。その寄稿者はアレン・ギンズバーグ、ウイリアム・バロウズ、グレゴリー・コーソ、ジャック・ケラワック、ゲイリー・スナイダー、フィリップ・ウォーレンなど。彼のアパートはビート達がたむろする場所でもあった。そして、彼自身の処女詩集『PREFACE TO A TWENTY VOLUME SUICIDE NOTE….』(20巻の自殺ノオトの序文)をトーテム・プレスから1961年に出版。48ページのごく薄い詩集だが、1957年から1961年にかけて書かれた詩がクロノジカルに収録されている。路上で生まれたコトバはやがて<黒人性>に目覚めていく。その静かな内的変化と後の創作への萌芽が読みとれる。彼が評価されたのは、オビー賞(最優秀オフブロードウエイ劇作賞)を受賞した1964年に上演された戯曲『ダッチマン』によってだった。『ブルースの魂』を書いたのもビレッジのアパートだったが、1965年ジョーンズは妻子を捨てて、ハーレムに移る。彼がビレッジを去ったことをヘティから聞いたアレン・ギンズバーグはその時インドにいたことをひどく悔やんだという。
私がアミリ・バラカのステージを見たのは1994年のベルリンジャズ祭だった。今も詩祭やジャズ祭のプログラムにアミリ・バラカの名前を時々見かけるし、ニュースでも。彼の弁舌はまだまだ健在である。JT(横井一江)