■菊地雅章への公開質問(1-1)>>>> [click]
■山下邦彦への回答(1-2)>>>> [click]
■菊地雅章への公開質問(2-1) >>>> [click]
|
[↓UPDATED 10.02.2005]

回答 2
質問2への response に入る前に、まず前回で触れずじまいだった「グレッグ・オズビーの音楽の仕方」についてちょっと書いてみます。これは山下くんの質問1にある「グレッグはどこかに過去の自分の記憶にもとづく "演奏" がかなり混ざっているように感じました」という点への俺からの response です。
俺が最初にグレッグと演奏したのは東芝EMIが企画した『HINO-KIKUCHI QUINTET』再編のプロジェクトの際です。確かあれは1995年だったと記憶しているので、彼と知り合ってからずいぶんたつんだなあと思います。最初ニューヨークでレコーディングし、その発売にあわせて日本に行き、Mt. FUJI JAZZ FESTIVALでデビュー演奏を行い、その後大阪、福岡、東京各地の『BLUE NOTE』に出演しています。ところがそのプロジェクトにどういう経緯でグレッグが参加することになったのか、俺の記憶にまったく残っていないのです。ということは当時グレッグはすでに BLUE NOTE RECORDS と専属契約を結んでいたので、多分に東芝EMIの行方均プロデューサーの choice だったのかも知れませんが、いずれにしろグレッグとの出会いはその時が初めてだったはずです。
その tour での彼の演奏から受けた印象は、
1. lyrical と言えるほどにきれいな音色を持っていること
2. alto saxにしてはとても音程が良いこと
3. 几帳面なくらいに time 感覚に優れていること
4. improvisation の line が独創的であること
以上の4点ですが、もう一つ、一度リハーサルした曲はほとんど暗譜してしまうという能力にもびっくりしました。もしかしたら photographic memory の持ち主かも知れません。
というわけで翌年、odd rhythm monster 吉田達也を擁して1995年に結成した「THE SLASH TRIO」に初めての tour の話が持ち上がった時、さっそくグレッグに参加を要請しています。
たぶん山下くんにもその「THE SLASH TRIO」の演奏は聴いてもらっているかと思いますが、あの trio で演奏することは俺にとってもまったく新しい体験でした。吉田達也は異才と呼ばれるにふさわしい、特異な、そして優れたミュージシャンです。また「断行あるのみ」といった気概を持つ勇気あるアーティストでもあり、その共演の度ごとに数多くの問題を間断なく俺に投げかけてくれました。それらの問題のうちのいくつかは解決できたと信じていますが、残るいくつかの問題への解決の糸口が掴めないまま、現在、trio の活動を停止しています。が、それら問題への突破口が見つかりしだい、グループを再編するつもりでいます。
その吉田達也ですが、彼は周知のように odd rhythm の達人です。そしてグレッグ・オズビーもスティーヴ・コールマンが主宰した「M-BASE」で odd rhythm の研鑽に励んできています。俺もその「M-BASE」が勢いを持っていた頃に数回聴きに行っています。
M-BASE
Macro
Basis
Array of
Structured
Extemporization
Organized in 1984, M-BASE was basically a large group of creative individuals concerned with progression in contemporary improvised music. We met twice a week and held seminars on music business, recording techniques, composition, improvisation. education, investing, and conceptual approaches.
We put our collective money together to record demos and we rented various performance spaces around New York to put on our own concerts. We had youth outreach programs for young music students as well as a musician referral service to help players find good paying gigs. Our principle goal was to not be dependent on anyone or any organization. We designed the M-BASE collective as a total self-help entity. Every musician who was involved was obligated to make a business, musical or conceptual contribution that would directly aid or inspire us all. There was no one leader, and at various intervals, everyone took a leadership role if they had some information to share.
Greg Osby
それらは主にスティーヴ・コールマンのグループでしたが、その後グレッグを「THE SLASH TRIO」の日本 tour に誘って共演した際、彼がスティーヴとは異なる approach、それに taste を持っていることに気づいたのです。もちろんそれ以前に彼自身のアルバムなどを通してそうした感触があったからこそ、「THE SLASH TRIO」の tour に誘ったかと思いますが、それらのことがはっきり認識できたのは実際に一緒に演奏しはじめてからのことです。
「グレッグ・オズビーの音楽の仕方」についてさらに深く考えるために、グレッグとスティーヴ・コールマンとの approach の相違について書きたいと思いますが、その前に吉田達也の odd rhythm と「M-BASE」のそれとの違いについてちょっと考察してみます。
まず吉田達也の音楽ですが、それは端的に言ってある種の "ethnic music" が現代に蘇えさせられたかのように聴こえます。もちろんこの俺の印象については異論も多々あるかと思いますが、俺がそう感じた最大の理由は彼の odd rhythm の成り立ちです。彼の rhythm は、例えば日本古来の「儀式」に深く関わっている祝詞(のりと)、呪詛、あるいは伝統芸能(とくに浄瑠璃、能など)を支えている "ウタ(謡)" の影響を強く受けているのではと感じます。むしろそれらの "吉田達也 version" と言ったほうが当っているかも知れません。つまり彼の rhythm は、それら「祝詞」「呪詛」、あるいは伝統芸能などの "ウタ(謡)" の持つ語句そのものではないかと思える部分が多いのです。この推論を支える証左としてあるのが、彼が往々にしてそれらの語句を彷佛させる phrase への「合の手」のみならず、メトロノーム的ボトムとして機能するアフリカ的な down beat さえも無視省略することです。trap set においてさえです。これはすごいことです。その瞬間、彼の内では trap set がメロディ楽器に変貌するのでしょう。このことは彼と bass guitar との duo band である「RUINS」を聴いてもらえばより明確に認識できるかと思います。
一方同じように odd rhythm を表現のための elements のひとつとして選んだ「M-BASE」についてです。グレッグが4〜5日前に送ってくれた「M-BASE」の profile によると結成は1984年のようですが、当時俺は Brooklyn に構えたスタジオにこもって、電通のための synthesizer music 制作に専念していたので、「M-BASE」について知ったのはずいぶんたってからのことです。その頃には彼らの movement はミュージシャン達の間である種の畏敬の念をもって語られていたように記憶しています。
さてその「M-Base」の odd rhythm ですが、それが変拍子であることを除けば、当時若いミュージシャン達がこぞって演奏していた funk rhythm と大差ないように思われます。もちろん若手の精鋭達があらん限りの能力を駆使しての結果ですから、その odd rhythm の御利益とも言える on と off の絶え間ないシフトと相まって、聴くものをトランス状態に誘うのではと想像できます。ただ踊れるかどうかは疑問ですが。(この「M-BASE」による強烈な groove はスティーヴ・コールマンのいくつかの live album の、いくつかの track で体験できます。ただし、あまりのめり込んで踊ろうとすると体がネジれてくる可能性もあるので要注意です)
充分な information の入手が不可能だったこともあって当時俺は「M-BASE」を過大評価していたような気がします。「odd rhythm による groove」「extemporization(即席の作曲とでも訳せばいいのでしょうか)」「collective improvisation」……それらの言葉が、何か spiritual で conceptual な movement であるという印象を俺に与えてしまった気がします。ですが主宰したスティーヴ・コールマン、そしてグレッグ・オズビーの2人に対する俺の評価は今でもまったく変わっていません。とくに'90年代にあのアンドリュー・ヒルの薫陶を受けたグレッグはその作曲の才能を急速に伸ばしはじめています。
彼の作曲したものについてですが、書かれたものを見る限りでは何かとりとめがなく、頼りないといった感じがなくもないのですが、ところが実際に演奏を聴くと、そこに彼独自の音宇宙が浮び上がってくるのです。ということは俺の読譜力もしごく曖昧なのでしょう。山下くんも一度彼の web site(www.gregosby.com)から譜面をダウンロードしてみてください。山下くんであれば、俺の読めない部分を読んでくれるかも知れません。もし何か興味ある発見がありましたら俺にも知らせてください。
それから今回の俺の response の冒頭にある、これは山下くんからの質問1でもありますが、「過去の自分の記憶にもとづく "演奏" 」という件(くだり)がどういう意味なのか、俺にはよく理解できないのです。というのは「記憶」には意識下の記憶とそうでないもの、つまり無意識下の記憶、これは感覚の領域での記憶と理解してもよいかと思いますが、それら二通りの記憶があるかと思われます。即興演奏を実践する際、それらの「記憶」を否定するとなると、記憶を媒体として成立すると考えられる知識・知覚をも否定することになりますが、その場合、即興演奏が時間的に進行していくなかで瞬時瞬時に要求される「Yes」と「No」の判断はどのように下すのでしょうか。
ところでここで提案があります。このメイルに添えて2曲ほど(もちろん楽譜になっているものですが)送りますから、それを基に improvise を試みてくれませんか? 1曲はグレッグの書いた「Vista」というタイトルの曲で、『BEYOND ALL』の1曲目に収録されています。もう一つは昨夜俺が書きとめておいたごく短い曲です。そしてそれらの演奏を録音して送ってもらえないでしょうか? 録音 media は「DAT/PCM 44.1KHz」が理想的ですが、それだと郵送だけで1週間はかかると思いますので、MP3 に変換して、コンピュータを通じて送ってもらっても結構です。これは、『即興』の章に入る前に山下くんの improvisation への考え方をぜひ知りたいのと、それによってコミュニケイションをもっとスムースにしたいと願うからです。
>> Back Number >>Page Top >>Home
|