UPDATED 07.02.2006
INTERVIEW
「山下邦彦から菊地雅章への公開質問」Ex.
「山下邦彦から菊地雅章への公開質問」Ex.

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question1

菊地雅章様

私は37才のジャズ・ファンです。まったくのアマチュアですが、菊地さんと山下さんのメールによる対話を何とか理解しようと頑張っています。
菊地さんへの質問ですが、菊地さんが調号を指定しないで作曲する場合、すべてを演奏者の感性に委ねているのでしょうか? あるいは、譜面はあくまで自分が演奏するためのもので、第三者が演奏することを予期していない、ということでしょうか?
山下さんは、自由に解釈して演奏しているようですが。

山梨県・佐波忠義(37才)


answer for Q-1

佐波くん

俺は「調号」という言葉の存在さえ知りませんでした。昔、まだ俺が若かった頃に一体それを何と呼んでいたのか、その記憶さえ定かでありません。まあそれぐらい重要じゃないということでしょう。でも「調子記号?」については、十五年ぐらい前までは随分とこだわっていました。が、今はそれもやめました。今は自分が読み易ければそれでいいと思っています。例えばG♭とF♯の「調子記号?」の違いを云々しても全く意味がないと考えるからです。ただ「調子記号?」でなく、個々の音への♯、♭記号には万全を期するよう心がけています。そして「♯と♭の臨時記号」が付いている箇所では、それら「♯と♭の臨時記号」と、その部分の「chord symbol (name) 」とのバランスをとるのにかなり気をつかいます。ただ内外を問わず、 jazz musician の多くはピアノ的平均律と「chord symbol」に馴れ親しでいる所為か、その点合理的に、簡潔に理解しているようです。
それから俺は譜面上での作曲という作業を最近は殆どしませんから、共演するミュージシャンとのコミュニケイションが必要な時以外は譜面を書かなくなってきています。
時代が移ってきているのでしょう。

菊地

[UPDATED 12.05.'05]   >>> HOME

 Res. 

菊地さんへ

僕のようなアマチュアの質問に対して菊地さんが大切な時間を割いて答えて下さった誠意に僕はとても感激しています。さらに用語の使い方が曖昧でご迷惑をお掛けしました。「調号」は山下さんが使っているように「調性」の意味で使いました。菊地さんの「PASTEL」という楽曲で、作曲者である菊地さんの指定のキーはEbですが、山下さんはAbを感じると書いています。菊地さんとグレッグ・オズビーによる新作『ビヨンド・オール』についてウェイン・ゼイドという評者は「14曲を通してメロディやリズム、あるいは調性の変化が認められる部分はきわめて少ない。」と書いており、僕は、菊地さんの音楽における「調性」感について興味を持ったのでした。

山梨県・佐波忠義

[UPDATED 12.11.'05]   >>> HOME


山下様

山下さんは「今は移動ドで演奏している」とのことですが、われわれが学校で習ってきた音楽はすべて移動ドに基づいていたと思います。山下さんはこれまでは固定ドで演奏されていたのですか? あるいは、ジャズは一般的に固定ドで演奏されるものなのでしょうか?

新潟市・難波高明(22才)

answer for Q-2

難波さんへ

 質問をいただいてから、大変な時間がたってしまいました。お答えが遅くなって本当にすみません「移動ド」「固定ド」について、簡潔に説明することは、とても難しいことだと感じています。以下、少し長くなりますが、現在の考えを述べさせていただきます。
 まず、僕は現在49歳になりますが、当時の学校教育の中で、「移動ド」「固定ド」が明確に区別されて教えられていたという記憶はありません。最初のご質問「これまでは固定ドで演奏されていたのですか?」という答えとしては、「どちらでもない」という答えになります。「ジャズは一般的に固定ドで演奏されるものなのでしょうか?」というご質問には、2種類の答えがあると思います。ジャズの演奏が基本的に「chord symbol (name) 」に基づく、と仮定すれば、結果的に「固定ドに基づいて演奏される」という答えになるだろうと考えます。なぜなら、「chord symbol (name) 」そのものは、音の高さそのものに基づいているからです。Cのメジャー・セブンスというコード・シンボル(ネーム)は、Cという音の「高さ」を示していて、音の「関係」を示すものではないからです。音の関係を示す場合、ジャズは、クラシックの機能和声法の方法を援用して、I,II, III, IV, V. VI. VIIという「数」を使っています。ですから、ジャズの演奏が基本的にこの「機能」に基づく、と仮定すれば、結果的に「移動ドに基づいて演奏される」という答えになるだろうと考えます。しかし、この「固定ド」「移動ド」という二分法には、さまざまな問題点があることに、この半年間の過程で気づいてきました。さらに、「絶対音感=固定ド」「相対音感=移動ド」というふうに、その二分法が敷衍されると、さらに問題は深刻になります。実は、このような二分法を世に広めたのは、1998年にベストセラーになった最相葉月著『絶対音感』(小学館)ではなかったと思います。少なくとも、僕自身にとってはそうでした。そして、僕にとっては、自分自身の受けた学校教育が、「固定ド」か「移動ド」か、という問題についても、この本を読む前には、それほど自覚していなかったというのが真相です。ただ、漠然と、絶対音感と固定ドが結びついているのはないか、自分には正確な「絶対音感」がないのだ、という自覚と、コンプレックスのようなものがあったようです。しかし、この『絶対音感』を読んだおかげで、逆に「コンプレックス」の根拠のようなものを客観的に知ることとなり、その「コンプレックス」からは解放されました。そして、さらにこの本で書かれている二分法に影響を受けた数年間があり、ここ半年間で、その二分法そのものを疑うようになった、というプロセスをたどっております学校教育の現場については、この『絶対音感』の中の次のような文章によって、知った次第です。「ドはドなんです――この言葉を何度聞かされただろうか。この混乱には、二つの大きな要因がある。一つはヤマハや河合をはじめとする町の音楽教室の普及で、学校の授業時間に実力を発揮する成績のいい子供たちが、固定ドを使用しているということ。二つめは、音楽の教師は専門教育を受けているため、固定ドで楽譜を読み、歌を歌ってきたということだった。つまり、教師が移動ドを教えられないのである。現在、義務教育ではやむなく固定ドで歌うか、ドレミでは歌わせずラララや歌詞で歌うケースが増えている。楽譜を読める子どもがどんどん減ってきているといわれるのはそのためでもあった。」(『絶対音感』155ページ)この文章が事実を伝えているとすれば、教育現場では「固定ド」が支配的なのだ、ということになります。
 結論としては、「固定ド」「移動ド」という二分法は、「音名唄法」「階名唄法」と言い換えるべきだと、考えています。「固定ド」というときの「ド」は、「音名」としての「ド」であり、「移動ド」というときの「ド」は、「階名」としての「ド」だからです。ですから、「固定ド」とは、「固定C」あるいは「固定ハ」というべきである、と今は考えています。そして、音楽を、「音の名前」で考えるのか、「音階の名前」で考えるのか、というふうに、さらに考えをすすめています。ちなみに、「移動ド」というときにも、短調をどのように唄うか、という問題が隠れています。機能和声法的に「移動ド」を考えれば、短調のときも、そのトニックを「ド」と唄うことになりますが、短調のトニックを「ラ」と考えれば、また唄い方が変わってきます。「ド」と「ラ」という2つの中心を持つ構造、柴田南雄が「楕円」と名づけた構造、既存の用語で言えば「並行調」の構造が表われるのです。この議論は、続けると果てのないものになってしまいます。ここでは、このへんで区切らせていただきます。
 もし、このテーマに関心がおありでしたら、この半年書いておりました拙著『ウェザー・リポートの真実 Joe Zawinul on the Creative Process』(リットーミュージックより本年7月末刊行予定)をのぞいてみていただければと思います。いずれにしても、長い間、すみませんでした。ヒントにしていだければ幸いです。

山下

[UPDATED 07.02.'06]   >>> HOME
question3

 

山下さんへの質問

菊地さんと山下さんの対話が急展開し、ハラハラドキドキしながら読ませていただいておりますが、素人の私には 理解できかねることも多々あります。
ひとつだけ質問させていただきたいのですが、山下さんが「歌っている」のは声を出して、あるいは頭なの中で歌って いるのですか? 2度めには「演奏してます(歌っています)」と出てきますので、カンタービレなのか唱っているのか判然 としません。
もし、移動ドで唱っているのであれば、途中で転調した場合、階名はどうなるのでしょうか? さらに、変化記号の付いた 音は、C#=チス、とか、F#=フィスなどで唱っているのでしょうか?
固定ドで唱った場合とどうして感覚的な差違が生じるのでしょうか?

奈良県・沢渡勝(21才)

answer for Q-3

 

 質問をいただいてから、大変な時間がたってしまいました。お答えが遅くなって本当にすみません。
この質問への答えは、さきの「移動ド」「固定ド」に関する難波さんへのお返事と内容がだぶっていますので、合わせてお読みいただければ、と思います。「歌っている」あるいは「唄っている」という表現は、脳の中の「思考方法」という意味で使っています。つまり、実際に声に出すか、出さないかは、本を「音読」するか「黙読」するか、という違いと近い関係なのかな、と考えています。「途中で転調した場合、階名はどうなるのでしょうか?」というご質問は、実に深い問題です。
 つまりその「転調」の質がかかわってくるからです。たとえば、シンプルなブルースのようなものを考えたとき、そこには、狭い意味での「調性」は存在していません。コード・タイプはすべて「ドミナント・セブンス」の形をとっています。つまり、ドミナントがトニックを求めて解決する、という機能和声法のルールに従えば、コード・チェンジのたびに「転調」しているようなものです。そこで、僕は、このような(あえて「ブルス」的とここでは表現しますが)「転調」を「転調」とは考えないで「歌」っています。つまり、「ド」は移動させません。
 たとえば、ブルース的な「C7→F7→C7」というコード・チェンジがあるとします。ここで、C=ドと歌うと、C7でシ♭、F7でミ♭が出てきますが、そのまま、♭を感じながら「歌います」。かりに、ここでC=ラと歌うこともできます。そのときは、C7でド♯、F7でファが出てきますが、そのまま、♯を感じながら「歌います」。つまり、ブルースの「調性」を「メジャー」と考えても「マイナー」と考えても、いずれにしても2つの音がズレるのです。そして、このような「ズレ」は、シンプルなブルースにだけ現われるのでない、ということを、僕自身、この数年間、さまざまな形で見つけてきました。まさにそのような発見を、菊地雅章さんの音楽と思考が、僕に与えくれたのだ、と考えています。
 「変化記号の付いた音は、C#=チス、とか、F#=フィスなどで唱っているのでしょうか?」というご質問については、今述べたように、そのようには唄っていません。たとえば、「コダーイ・メソッド」と呼ばれるものでは、半音階的変化も「do-di(do♯)-re-ri(re♯)-mi〜、ti-ta(ti♭)-la-lo(la♭)-so」というふうに、すべて♯♭を使わずに母音の変化で表記します。しかし、僕自身は、あえて♯、♭を付けて、その半音変化を感じています。逆に、母音の変化ではなく、「♯」「♭」という視覚的記号として、その「ズレ」をあぶりだそうという意図があります。
 「固定ドで唱った場合とどうして感覚的な差違が生じるのでしょうか? 」というご質問ですが、感覚的な「差異」は、僕にとっては、「移動ド」的に考えたほうが、その音楽の「重心」を自覚できる、という点にあります。しかし、この方法をとらなければそのような「自覚」が生まれない、などとは考えていません。あくまで、ひとつの方法です。たとえば、フランスでは、音名も階名も「ドレミ」を使っているので、そもそも「移動ド」という概念がありません。実際には「ラララ」で歌っているそうです。たとえば、そのような環境の中で、かりにフランス人のドビュッシーが「固定ド」的に考え、「ラララ」で唄っていたとしても、彼の音楽からは、彼自身が強烈な「重心」と「浮遊感」を感じていたことが、豊かに強く伝わってきます。お答えになっているかどうか、心配ですが、ここで区切らせていただきます。菊地雅章さんと僕との「コミュニケーション」は、こからも続いていきます。どうか、この「喜び」をぜひとも共有していただければと、切に願っております。

山下

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JT

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