UPDATED 11.23.2005
INTERVIEW
vol.30 佐藤允彦
2005年11月2日 インタビュー&写真:横井一江
楽譜 Haze
(c)富樫雅彦 
楽譜 Deformation
(c)富樫雅彦 
楽譜 The Arch
(c)富樫雅彦 
楽譜 Waltz Step
(c)富樫雅彦 

— 富樫雅彦さんの作品、特にメロディ・ラインを聞いていると個人的な感想ですが、天才肌の音楽家が持っているような直感的なものを感じます。彼の作品を特徴づけるものについてまずお伺いしたいのですが。

 確かにメロディ・ラインは割とそうなんだけど、決めになっているようなコードとかには意外とこだわっているんだよね。例えば、1974年作の≪Spiritual Nature≫、ここにある譜面を見ればわかりやすいかな。これは完全にペンタトニックのメロディなんだけど、間間に入ってくるコードは、ジャズのサウンドにこだわっている。どこかで、そういうものにこだわろうという意識がある。これは1971年作の≪Haze≫。冒頭部で“たららら〜〜〜、ガーン”となっている。これはセブンスなんだ。この時期は、そういうことにこだわっていたというか、きっとそうじゃなきゃいけないというのがあったみたいだね。
 ≪Action≫(1996年作)のように、コードじゃなくって、ガーン、ガーンというぶつかった音がほしいという場合もある。それから、ここに≪Deformation≫の譜面があるけど、“たらら〜〜〜〜”とあるよね。これは4度と2度、ソ・ド・レの積み重ねがパラレル、平行に動いている。不協和な響きがほしいときは短2度や増4度の和音を配置してある。たとえば≪The Arch≫の音の並びも半音ぶつかったものが4度ずれている。フリーっぽい曲で、インプロに入る時にこのほうが既製のコードより入りやすいというのがあるのかな。
 二面性があるんだよね。この≪Little Eyes≫なんかも、中はフリーなんだけど、ゆったりしたいわけ。メロディはトーナル、A♭のコード。インプロになった時に落差が大きくないといけないの。≪Waltz Step≫もそうだね。何かをきっかけにフリーに入った時、その落差がないといけない。彼は「ここから“どしゃめしゃのフリー”」って言い方をする。でも、それまではキレイにキチンと演奏している。だから、ものすごくキレイな部分とキツイ状態が並列的に置かれている。ある種、音楽的なコラージュともいえるかな。全然関係なしの状態が同時にある。同じ絵の中で、写実的なものがここにあるとして、横にはそれと無関係なものが貼り合わせてあるみたいな。
 ドン・チェリーもそうだった。日本に来た頃は、よくインド音階を使っていたんだよね。彼はそれを唄って、そのとおりやれと言ったんだ。そのような経験が、富樫さんの中にどういう影を残しているのかはわからないけど。「マックス・ローチを追いかけてもマックス・ローチには追いつけない。だから、オレはそうじゃない道を行くんだ」と、彼は60年代から言っていた。それがずうっと何十年かに渡って繋がっているともいえる。
 彼の描く絵もそういうところがあるかな。ものすごくアブストラクトな絵も描くし、写実的なのも描く。最近は風景しか描かないけどね。だから、そういうところに彼の二面性を解く鍵があるのかもしれない。

— 以前、佐藤さんに富樫作品のアレンジについて質問させていただいた時に、シンプルなメロディを同種の管楽器3本のユニゾンの微妙なズレで表現することを、“にじみ”という言葉でおっしゃっていましたよね。

 “にじみ”ってのは僕が言い出したんだ。いいでしょ、結構当たっていると思う。≪Spiritual Nature≫の頃から、富樫さんは「全部合わせて吹くな、自分のタイミングで吹けよ」ということを言うようになった。あの時はそういうのが流行っていたというか。オーネット・コールマンとドン・チェリーが一緒に吹いても“にじむ”よね。

— “にじみ”という手法に、和楽器の奏法、たとえば尺八のむら息がもたらすサウンド効果に近いものを感じるのですが。

 うん。尺八の古曲とか、そういうのあるよね。2本の尺八で演奏するのとか。尺八の美しさは、それでものすごい空間が生まれるということ。富樫さんは、多分ああいうのを目指していたかなとも思う。彼の楽器、つまりパーカッションの音のイメージにも、ざらっていうのがあるじゃない。
 反面、彼は和声学とか勉強している。富樫さんは、ブーレーズの打楽器の曲≪ル・マルトー・サン・メートル (Le marteau sans maitre)≫もやってるの。そういうこともやりたがっていたんだ。60年代、65年頃は、そういうセリーとか図形楽譜的なものにも興味があったんだよね。だけど、彼の作品では図形譜はひとつもない。≪Little Eyes≫のように小節線のないもの、自由に吹きましょうみたいなものはあるけど。

— その一方、富樫さんの書くメロディはとてもロマンチックというか美しいですよね。

 富樫さんのところに行くと、いつもムード・ミュージックがかかっている。といってもミッシェル・ルグランがジャズ演っているようなの。≪テンダリー≫だったかな。テンポが4倍ぐらいになっちゃうやつ。でも、おしゃれというか。そういう質の高さみたいものが好きなんだよね。
 彼はね、ものすごいロマンチスト。僕がなぜ『Masahiko Plays Masahiko』シリーズを始めたかというと、富樫さんのそういうメロディを残しておきたかったんだ。富樫さんのグループでは、そういう曲はあんまりやらない。J.J.スピリッツはストレート・アヘッドのビバップのジャズ。トライアルなんかは、どフリーだったし。
 こういうふつうの唄モノみたいな曲を書く時に、彼はすごくフォームにこだわる。どうしてもAABAにしたいとか、8小節で一区切りにしたいとか。サビがなくても16小節を繰り返して、ABAB'、ABA' というものもあるって言っても、「オレはサビがなくちゃあいやだ」とか「これが1番括弧だろ、これから2番括弧にこういうふうにいって大丈夫?」なんて言うんだ。ブルースって、12小節だよね。ところが、ある時ブルースを書いたら11小節の半端なのが出来ちゃった。「いいかな、これで」というから、「面白いんじゃないの」って言った。それは、≪Fake Blues≫というタイトルの曲になったんだけど、J.J.スピリッツで演奏する時、峰厚介とか井野信義に、「ちょっと勘弁してよー。これ12小節でやらせてもらえない?」と言われて、メロディは11小節だけど蓋開けたら普通になっちゃたんだ。でも、ボクがソロで演奏した時は11小節でやった。ずうっと聞いていて、アレッというのが面白いでしょ。だけど、そういうことを彼はすごく気にしている。ブルースは12小節というようなことをね。最近も、「どうしてもサビが書けないんだけどー」とか言ったりする。「サビなんてなくていいんだよ」と言っても、「でもさー」ってこだわるんだよね。昔ビバップやっていた、そういうノスタルジーがあるのかもしれない。説得してもダメなんだ。フォームに対して、すごくこだわりがあるね。


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