— 富樫さんの曲では、先程おっしゃったようにメロディからフリーに突入する。それとアレンジの兼ね合いはどうなのでしょう。
僕が困ったのは、例えば≪May Breeze≫のようなすごくキレイな曲から、“どしゃめしゃなフリー”って言われても、僕は“どしゃめしゃなフリー”になれないんだな。それこそ彼にとってのフォームじゃないけど、僕がコンサバなのかなとも思うんだけど、発想の源みたいなものにこだわるところがある。≪May Breeze≫は調性があるトーナルな曲だから、そこから出発したいと思うのかな。どっかにその断片を全然違うキーで入れたい。コンポーザーズ・マインドというか、自分のインプロに理屈をつけたくなっちゃう。“どしゃめしゃフリー”と言うけれど、何をもって“どしゃめしゃフリー”というか。元の発想を切る、つまり連続性を断ち切るということなのか。となると、その“どしゃめしゃフリー”はどこからきているのかと考えるわけ。そこがダメなんだな。富樫さんが演奏していて、“どしゃめしゃフリー”になる。その“どしゃめしゃフリー”は富樫さんの存在そのものから出てくるものだよね。だとすると、キレイなメロディを置く意味はどこにあるのかって。あるフレーズがあって、次に全然違うフレーズを弾く、その関係性とか乖離性を理屈づけたいというのがアレンジャーの本性なのだろうね。だから、≪May Breeze≫はGで入るんだけど、ソロの時、一回全然違うキーで演奏して、次はまた違うキーで、さらにキーを変えたのが次々重なって、フリーへいく。そんなアレンジになった。でも、富樫さんはもしかするとそれは嫌なんじゃないかなとも思うんだ。
“どしゃめしゃフリー”を際だたせるのは、“どしゃめしゃフリー”じゃないんだよね。フリーに対して、一見混沌としているように見えるけど、実は組織化されている、というような要素をさりげなくポッと併置すると元のフリーが浮かび上がって聞こえる。合理的な言い方をすればだけど。例えば、新宿駅の人の流れ、ぐちゃぐちゃで、ひとりひとり違う方向へ動いている。それをある瞬間断ち切り、軍隊の行進みたいなものになる、そして、また急にぐちゃぐちゃな状態に戻す。混乱している無政府状態が、ある瞬間、あるきっかけで変えるということを自由自在にやる。これはコンポーザーにとっては簡単、そんな難しいことじゃない。一番難しいのは、コンダクトしないで、その状態に持っていくことなんだ。誰も指揮していないのに、ひとりひとりの演奏者の判断でそういう状態が現出する。それができるためにはインプロの本質をかなり深く理解している人が集まるかどうかにかかっている。変な人が一人でもいるとそれだけでぐじゃぐじゃ。
— メールスでは10人編成でしたが、特にアレンジに気を配ったということはありましたか。
東京フォーラムで以前にやった富樫さんの還暦コンサート『ネクスト・サイクル』のためのアレンジがあったので、その延長線上。あの時は、「これはどうする、これはどうしたい」とかなり綿密に打ち合わせしたから。“にじみ”とかもアレンジで反映させたよね。練習した時に、もっとずれて吹いてくれとか。それを厳密にクラシックの譜面のように同じキーで16分音符をずらして書いちゃうと大変なことになってしまうじゃない。ニュアンスもなくなくなってしまう。だから、やさしい音型でかいて、お互いにズレテねって指示を与える。富樫さんをよく知っている人達が集まったから、上手くいった。
メールスに出演したメンバーで、富樫さんと共演経験がなかったのは、岡部洋一、安藤正則、山口真文かな。でも、心配はなかったね。何年も一緒に演っている峰厚介とかいるわけだし。もし、メンバーが全員アメリカ人とかヨーロッパ人だったらかなり神経使ったと思う。安藤正則も岡部洋一も僕は一緒に演っているし。安藤君は、行くまでに時間があったので、富樫さんの音をものすごく聴いて、勉強してきたんだ。岡部君はすごくいいねぇ。才能ある。もっと世界に出ていっていい人だと思う。とにかく、今回はそういうのに凄く助けられたよ。