UPDATED 01.29.2006
ローカル・ミュージック
タイトル:『ローカル・ミュージック』
著 者:昼間賢
出版社:インスクリプト
初 版:2005年10月15日
定 価:2,800円+税

 昨年(2005年)の11月、フランスの暴動が大きなニュースとして伝えられたことはまだ記憶に新しい。この暴動は、フランスだけではなくヨーロッパの各国が抱えている移民問題を白日に晒してしまった。旅行者を誘うパンフレットや本にある憧れを駆り立てるようなヨーロッパのイメージ、ブランド店や高級レストラン、お洒落な街並みから、さほど遠くないところでずーっと燻り続けていた火種がついに爆発してしまったのだ。
 その時なぜか、ラングストン・ヒューズの<ハーレム>という詩を思い出した。「実現延期の夢はどうなるって?/そいつは陽なたの干葡萄/みたいに干上がっちまう?/え 傷みたいにうんで——/そいでひろがっていく?/(略)/え 爆発するんかい?」(ラングストン・ヒューズ詩集 木島始訳)。移民達の社会的状況が一瞬、アメリカ黒人のそれにシンクロする。ヒューズが生きていた時代、ジャズはまだ彼らの音楽だった。そう、あの時代、ジャズは“ローカル・ミュージック”だったのだ。
 ニュースを見ながら、そんなことを考えていた時にこの本と出会った。多様な地域文化と言語、そして移民達のコミュニティあるいはゲットー、フランスは実に様々なローカルを抱えている。そんなフランスの“ローカル・ミュージック”を取り上げた本書は、足かけ5年、留学生としてフランスに滞在した著者の個人的な音楽体験を、ひとつの横断批評へと集約したものだ。ここには21世紀の音楽シーンを語るための新しい視座がある。ベルナール・リュバット(リュバはフランス語読みで、ガスコン語ではリュバットと発音するらしい >>>■NEW DISC #171『Bernard Lubat/Vive L'Amusique』)から始まり、アルジェ生まれのリリ・ボニッシュ、ブルターニュのヤン=ファンシュ・ケメーネル、マグレブ・オルタナティヴという表現が言い得て妙なグナワ・ディフュジオンにスアド・マッシ、暴動との関係性を問われて今何かと問題になっているフレンチ・ラップ、かと思えば現代音楽畑のジョルジュ・アペルギス、なぜかフランスではなくドイツのジャズ・レーベルからCDを出しているグエン・レなど。CDを聴き、ライブを体験し、文献を引いて書かれた各章から、ディアスポラの音楽家やマージナルな地域文化に自らのアイデンティティを見いだす音楽家の姿が浮かび上がっている。彼らは資本主義の論理とは別の次元で聴衆を得ている。それゆえに、そしてまたそのローカル性ゆえに、日本の音楽マーケットではさほど感心を払われることはなかった。しかし、その息づかいには、言語や音楽様式を超えて伝わるリアリティがあり、文化を一にしない私達にさえ何かを感じさせるパワーがある。そのような日本の音楽ジャーナリズムからは見えない音楽シーンにスポットを当てた意味は大きい。欲を言えば、ジャーナリスティックにもっとその実像に迫ってほしかったということ。しかしながら、留学生という立場で滞在した著者にそれを求めるのは酷だろう。また、フランス文化研究者的な文体や文章構成が少々気になるが、それもそれゆえかと。
 ヨーロッパにおいて、マージナルな地域音楽がグローバルな世界に自己主張しはじめたなと感じたのは、米ソの対立軸が消えて間もなく、実は十年以上前に遡る。地理的、社会的な理由もあり、ヨーロッパのジャズ祭や音楽祭では随分前からそのようなミュージシャンがステージに出るようになっていた。“ローカル・ミュージック”は伝統的な音楽とロックやジャズ、ヒップ・ホップ、テクノなどとの現代的クレオールであったり、一種の先祖返りであったりする。それはまた実に多様な世界で、異なる内と外へのベクトルが働いていたりして、全てを一緒に論じることは決して出来ない。だが、共通して言えるのは、浄化され、洗練される前の文化が持っている猥雑さと強い生のエネルギーが伝わってくるということ。もはや“ローカル・ミュージック”を無視して世界のポピュラー音楽は語れないのだ。時代も社会的な状況もどんどん変化している。音楽ジャーナリズムもそれ自体アップデイトしていかなければいけない。そういう観点からも本書は大きな示唆を与えてくれた。
 どこか知らない土地へ旅立つような気分でページを捲れば、パリの裏通りからあなたの知らなかったフランスへ。街角で生きる人々とそこで息づいている音楽に出会える。“ローカル・ミュージック”のガイドブックとしても貴重。 JT (横井一江)

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