UPDATED 04.08.2006
武満徹の音楽
タイトル:『武満徹の音楽』
著 者:ピーター・バート
訳 者:小野光子
出版社:音楽之友社
初 版:2006年2月
定 価:3,800円+税

 音楽を「イメージ的に」聴く。とくに武満徹の音楽の場合、アレコレと具体的、抽象的イメージと結びつけて聴いてしまう。その一番の要因は文学的な香りあふれる曲名だ。「虹に向かって、パルマ」とあれば、「パルマ」少年が虹の麓を目指して歩んでいく姿を思い浮かべてしまう。しかし作曲者の説明では、この曲は「スペインの画家ホアン・ミロへのオマージュとして作曲された」とのこと。とすれば「パルマ」は少年の名ではなく、ミロが死去したマジョルカ島の町の名か。少なくともミロの明るい色彩を思い浮かべて聴く方がよさそうだ。かように作曲者自身の言葉は曲の理解に有益である。しかし一方で言葉によって、意識的に、無意識的に、覆い隠されてしまうものもある。ピーター・バート著『武満徹の音楽』によれば、この曲の核となる部分にはアルバン・ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」の主題が隠れているという。ベルクの影は同時期の「遠い呼び声の彼方へ!」にも見て取れる。それらが譜面で具体的に示される。「遠い〜」の場合、ジェームス・ジョイスの小説を引き合いに出した作曲者自身の解説に従い、リフィー河が「ハ調」の海へと流れゆく様をイメージして聴くのが通常だが、本書の指摘を読んだ後では興味はむしろ、ベルク的なものに移っていく。武満は初期に新ヴィーン楽派の虜となりながら、なぜ結局は厳密さを極めて戦後の前衛の出発点となったヴェーベルンを離れ、ベルクへのシンパシーを底流に持ち続けたのか。
 著者は英国出身の音楽研究者。本書は武満徹の作品を取り巻く多くの(そして魅力的な)言葉をひとまず脇に置き、スコアを一次資料として詳細に分析する。メシアンや新ヴィーン楽派、ヨーロッパの前衛やジョン・ケージ、日本の伝統音楽、作品に与えられた詩的哲学的メタファーなど、いまひとつ具体的に見えにくかった各作品との関係が例証されていく。何がどう影響したのか、何が変化し、何が残されたのか。それらは、武満の言葉を追っているだけでは正確に見えてこないし、時に見誤る。著者はさらに、西洋流のアナリーゼを徹底することで、それでは捉えきれない武満特有の領域がどこから始まるのかを示唆し、本書の最後でその美学的問題について考察をめぐらせる。原著はケンブリッジ大学出版から出ている「20世紀の音楽」の一冊で、もとは博士論文。すなわち欧米の読者を念頭に書かれている。そのため日本の西洋音楽受容史のような前段的な説明もあり、西洋人が抱きがちな先入観に反論を試みてもいる。この書物自体、ヨーロッパの評論家が批判する武満の構成力の弱さに対する反証とも言える。しかし一方で、著者は武満の「腹立たしいほど曖昧」なメタファーへの苛立ちを隠さず、神秘的な魅力への安易な迎合を拒む。そうした立ち位置からの武満論は新鮮だ。
 武満徹は日本人が思っている以上に昔から海外で知られ、最近では研究も積み増している。そうした海外の眼から見た武満は、日本で育まれた像とはまた違っていて興味深い。今年は武満徹が亡くなってから10年の節目。コンサートや出版などが少なからず行われるが、その中でも本書は最も意義深い出版のひとつだろう。第一線の若手の武満研究者による訳も実証面での確かさを支えている。 JT (相原穣 Aihara Minoru)

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