編集者時代、一見無頼ではあったが(事実、無頼な側面も持ち合わせてはいたが)、じつはとても繊細で面倒見の良い男であった。「ユリイカ」の編集長時代、ジャズを特集するにあたり詩人の清水俊彦氏の紹介で近付きになった。同じ中央線仲間であり、息子がふたりずつという環境もあって急速に近しくなった。連れ立ってジャズを聞き、プロレスを見、果てはニューヨークやソウルまで共に足を延ばした。ビールとタバコ(それに女性)が大好きで、タバコはつねに2箱を重ね置き(ハイライトとマイルドセブン)、文字通りのチェーンスモーカーであった。ECMのプロモーションのために「ユリイカ」と「カイエ」の表4(裏表紙)に<マイ・バック・ページ>という広告スペースを設けたところ、女優から作家、彫刻家に至るまで自らの人脈を駆使してエッセイを求めてくれた。ジャズ以外のフィールドでECMが市民権を得ることができた多くを彼に負っている。中上健次にジャズへの眼を開かせ、村上春樹のデビューに手を貸したのも彼である。プロレスの評論にも手を染め、村松友視とプロレスを徹底的に語り会って「四角いジャングル・ブック」(冬樹社)を著わした。フリーになって「ジャズ」と「プロレス」を合わせ「ジャロレス」評論家を自称した。やや自嘲気味にではあったが。小野好恵の告別式で弔辞を読みながら号泣した川本三郎が編んだすてきなアンソロジーである。高瀬アキや村上龍など多くの友人・知人が追悼文を寄せている。(稲岡)
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