UPDATED 08.14.2005

西村朗の音楽 光の雅歌
タイトル:『西村朗の音楽 光の雅歌』
著 者:西村朗+沼野雄司
出版社:春秋社
定 価:¥3,000+税





朝、シューベルトの『鱒』をBGMにかけていたら、突然、音楽が逆流している感じに襲われ、「なんだ、これ?」とディスクを確かめた。やっぱり『鱒』。シューベルトって狂気だな、と改めて思ったのだが、西村朗がそのシューベルト世界を自分の音楽の出発点の一つ、と語っているのを見つけ、ふーん、と。その「理知ではわりきれない領域」とアジアを重ねているのに、また、ふーん、と。
私はこれまで西村作品の誠実な聴き手ではなく、プログラムに掲載される作曲家のノートなど、ハナから読まず(音で十分、それが作曲家の仕事ってものだ)、音だけ聴いて評を書く人間で、したがって細部の作りなどどうでも良く、彼の作品の、私の中での<光の帯>という視覚的な残り方から、なんとなく本書を読み始めた次第。
「一と多」なるアジア的モティーフは、とうに松村禎三に示されており、世紀末音楽研究所で共に遊んだ吉松隆風ネオ・ロマンティシズムもメジャーとなり、一方で観念の頭でっかちな音響デザインや筆法の百花繚乱の不毛さのなかで、いかに自己の語法を確立するか。<新しい>ではなく<切実な>、だ。
西村が作曲家たりうるのは、たとえば「ヘテロフォニー」という、彼独自の語法の開拓にあるのではなく、「僕は窓」で、「内宇宙が窓のすぐ内側にあるような生々しい感覚」から、音を放出する<すべ>を遮二無二探る<業>を抱えた人間だからだ、と私は思う。しきりと語られるアジアの思惟たる宇宙と個体(内的宇宙)の原理の類似、一体観への共感も、あくまで内なる<業>の求める<道>のありようの一つ。でなければ、<光の帯>など残るまい。
その「光」の現在を、「トワイライト・ゾーン」、夕暮れに「ガンジス川で見た夕景」の「死の世界へのゲートとしての赤い光、それはもう生命の象徴ではなく、遠ざかっていって、別の世界に入っていく光」であり、「生と死が重なり合い」「ひしめき、ざわめいている」ゾーン、と西村は表現する。さらに「生と死、人生の短さを実感しつつ、自由でありたい。自分の中の本当に自由な声を表してみたい。」とも。
よし、次作はきっと聴きにでかけよう。
対談形式で、相手は音楽学者、批評家の沼野雄司。グラフィックデザイナー杉浦康平との会話、自作解題も集録し、これまでの西村の歩みの全貌が俯瞰できる。自筆スコアが随所に飾られた美しい本だ。JT (丘山万里子)

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