UPDATED 03.20.2007

 セシル・テイラーのステージを観ることは悦びである。
 そして、聴き終わった後には不思議なくらい爽やかな気分になれる。
 日本で観るのはたぶん1992年の夏の暑い日、現在の場所に引っ越したばかりの新宿ピットインが最後だったと記憶しているから、15年ぶりの来日になるのだろうか。
 第一部はそれぞれのソロ。山下洋輔の短いソロ2曲に引き続いて、セシル・テイラーの登場である。だが、声は聞こえど姿は見えず。まずは、舞台袖からのポエトリー・リーディング。そして、ピアノに向かい弾き始めると、まさにセシル・テイラーの世界、ぐいぐいとそこに引き込まれていく。CDでは100%伝えることが難しい彼の卓越した楽器演奏力もここでは十全に聴き取れる。
 「セシルのスゴイところの一つにペダルワークがある。彼はピアノから多くの異なったサウンドを引き出す。私は多くのセシルの模倣者と共演してきた。ひとつ言えることは、フレッド・ファン・ホーフのような優れたミュージシャンでさえも、常にピアノの音が変わることはない。時折、セシルは驚くべきことに、サウンドそのものを変化させる。それはペダリングのなせる技だと思う。彼は究極のピアニストであり、19世紀的なピアニストであり、また違う時には、ピアノに対してありとあらゆる悪事をやってみせる」と語ったのは、数多い共演者の中でも最も異色の存在だったデレク・ベイリー(注1)。まさにその通りだ。音響という言葉が、音楽批評の中でよく使われるようになって久しいが、それまでもテイラーのように本質的にソノリティーに対する優れた感覚を持ち合わせていた演奏家はいたし、音響派と称されたミュージシャンがその点において必ずしも優れているわけでもない。そういう意味でも、フリージャズという固定概念を外して、もっと幅広い音楽ファンに聴いてほしいと思うのだが、客席を眺める限りでは固定概念とジャンルの壁はなかなか厚い。
 テイラーを語る時、よくフリージャズの開拓者といった形容詞が与えられるが、それ以上に極めて独自の道を歩んだ孤高のピアニスト/コンポーザーだと私は思うのだ。ジャズの世界で他にこのようなミュージシャンを挙げるとするならばセロニアス・モンクであり、レニー・トリスターノがまず浮かぶ。そして、ジョン・F・スェッドが書いたように「セシル・テイラーはファンの一部に謎を残し、評論家に課題を残す運命の持ち主」(注2)でもある。それゆえに、評論家の書く難解さをイメージさせる修飾語は聴き手を余計惑わせかねない。だが、テイラーと長年にわたって共演しているイギリス人ドラマー、トニー・オクスレーはこう言った。「セシルの音楽をモダーン・ミュージックのように決してシリアスに捉える必要はない。とっても自由でエナジーに満ちていて、演奏していてもとても楽しい」。テイラーと彼のデュオをベルリンで観た翌日、レストランで雑談をしていた時のことである。そして、「ただココロを開いて聴けばいいのだ」と。ココロが開けば、自ずと耳も開かれる。とりわけセシル・テイラーの世界を聴くときにはこのごく当たり前の行為が最善の方法なのだ。
 ソロは、テイラー自身の世界を最もよく表すフォーマットである。手の内にある豊かなマテリアルが、それを表現可能たらしめる類い希な演奏技術をもって、緩急自在な即興演奏の中である種のストラクチャーを形作る。それは記譜された音楽構造とはいささか異なり、サウンド・テクスチャーをも微細に変化させながら弾かれる変幻自在な演奏の中から立ち現れてくるのだ。そこには、テイラーの詩的世界やフィロソフィカルな世界もまた投影されているに違いない。ソロを聞いていると彼がココロの中に描いている世界が垣間見えるような気さえしてくるから不思議である。60年代、70年代の録音で聴けるような爆発的なパワーこそないが、77歳にしてテイラーの即興演奏は今でもゆっくりと進化し続けているのかもしれないとさえ思いながら、ベルリンで言葉を交わす機会があった時に、彼の音楽に対する真摯で謙虚な姿勢に強い感銘を覚えたことを想いだしたのだ。
 第二部は、山下洋輔とのデュオ。セシル・テイラーと山下洋輔は似て異なるミュージシャンだと思っていたが、奇しくもそれを再確認する場となった。桟敷席から観ているとテイラーの手の詳細な動きと共にこの二人の奏法の違いがよく見えて面白い。姿勢がよく無駄な動きのないテイラーに対し、体を捩り、顔を歪め、まるで70年代のフリージャズを演奏していた時代にタイムスリップしたかのような山下。そして、二人の即興演奏に対する立ち位置の違いは明白だ。だが、テイラーの世界は開かれている。故にこのような共演も可能だったのだろう。しかし、ボキャブラリーもタッチの明確さもテイラーの方が上で、終始すべてを見透かしているかのように演奏を引っ張っていたのはテイラーだったことは否めない。それでも、異なる個性がぶつかり合い、二台のピアノがシンクロし、共鳴しする醍醐味は、この二人の共演ならではの出来事だったといえる。
 最後にこの一見無謀とも言える企画を実現した山下洋輔の果敢なるチャレンジ精神に敬意を表したい。久しぶりに東京で骨太のコンサートを観た一夜だった。JT

注1:Watson, Ben. Derek Bailey And The Story Of Free Improvisation: Verso 2004
注2:ジョン・F・スウェッド『ジャズ・ヒストリー』諸岡敏行訳・青土社


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