世界でもおそらくただ一つの即興床屋、バーバー富士。ここのオーナー松本渉さんの本業は理髪師。しかし、趣味が高じてか、即興音楽の演奏会を家業の理髪店の休業日である月曜日にそこで不定期に開催、シザーズ・レーベルも立ち上げ今までに3作リリース、CDの通販も行っている。1988年に始まったその即興演奏会も年数回ながら今回が第71回目。しかも、過去に出演したミュージシャンにはレオ・スミス、バール・フィリップス、ローレン・ニュートン、ジョエル・レアンドレ、ルイ・スクラヴィス、ペーター・ブロッツマン、ミシャ・メンゲルベルクなどもいる。松本さんの即興音楽に対する熱意は尋常ではない。即興音楽は、彼のような人々の草の根のサポートによって支えられているのだろう。
南フランスに住むサックス奏者ミッシェル・ドネダが日本をツアーするのは、1999年の初来日以来4回目。毎回バーバー富士で演奏し、しかもシザーズ・レーベルから2作、ドネダ、齋藤徹、アラン・ジュールらによる録音『M'uoaz』とドネダと齊藤徹のデュオ『春の旅01』をリリースしている。ドネダはここと最も縁の深いミュージシャンかもしれない。
ドネダのソロは、『Anatomie des Clets』(Potlatch)を聴いて以来、ずっと体験したいと思っていた。ソロはミュージシャンの姿を一番よく映す鏡といえる。自己の内面を掘り下げる厳しさがないとソロで聴衆にインパクトを与えることはできない。即興演奏は特にそうである。それゆえに、運が良ければミュージシャンの持っているより奥深い世界に触れられる。ドネダもしかり。幸運なことにその期待は裏切られることはなかった。
今までドネダの何枚かのCDを聴き、何度かライヴに足を運んだ。だが、今回彼がサックスを構えて吹き込んだ最初の息音を聴いた瞬間、その表現は進化しているに違いないと感じたのだ。サックス、今回ドネダはソプラノとソプラニーノを持ち替えて演奏していたが、実にいろいろな音が次々と重なり合いながら発せられる。もはやマルチフォニックスなどの特殊奏法は当たり前、反面、楽音を発することはなく、当然フレージングなどある筈がない。それは音の内部、楽器の深部に立ち返っていくサウンドである。その繊細さ、ヴァリエーションとイマジネーションの豊かさに改めて舌を巻く。だが、これは一歩間違うとそのテクニックの羅列に陥りかねない。そのような危険を回避しているのは、彼の音楽性ゆえである。
ドネダがサックスから引き出す音は、自然の中にある音や具体音を想起させる。つまり、サックスの音というより、どこかで耳にしたような記憶の引き出しにある音に聞こるのだ。そして、我々は実は多様な音に囲まれて生きていることにふと気付かせられる。そのサウンドを聴いていると、かつての革新者エヴァン・パーカーのサックス・ソロなどはすごく楽器らしいマトモな演奏に思えてくるから不思議だ。
以前、ジャズ批評に掲載されていたインタビューでドネダはこう語っている。(注1)
「音っていうのは無限なもののように僕には思える。逆に音楽という行為は、全く音がなくても存在し得る」
その音楽的なスタンスは、上の世代の即興演奏家、例えばスティーヴ・レイシーやエヴァン・パーカーが持っていた傑出した自己表現とは異質のもので、自己表現を越えたところにある匿名性に対する願望がある。それは、その活動に見られるノマド性と共にかつての即興演奏が内部に抱えていたモダニズムと明らかに訣別している。
ハーモニクスの中にざわめきや間合いを有し、ドネダの自然の中に入っていく音は、不思議なことに、風の音を聴き、虫の声を楽しむような日本人が伝統的に持っている感受性に近いものを感じさせる。そして、極めて自然体でその空間にすんなりと入りこめる居心地よさがある。そこには「場」との関係性から立ち上がるひとつの風景があったのだ。
「即興作品っていうのは、空間であり、それを創造する時間であり、それを体験したすべての人たちのものなのだ」(注2)
バーバー富士のような小さいけれどインティメイトな場は、時にとても贅沢な瞬間を提供してくれることがある。そんなライヴに出会えた幸運を嬉しく思う。
この日、詩人でありジャズ評論家として名著を遺した清水俊彦氏が、永遠の眠りについた。そして、「シザーズ・レーベルの第一弾『Cosmos has spirit』のタイトル曲は清水先生に捧げたもの」だったことをそのHPで知る。氏はポストモダンの先をどう見ていたのだろう。縁は異なものである。JT
注1:福島恵一「ミッシェル・ドネダ・インタヴュー」『ジャズ批評No.86』(ジャズ批評社、1996年)
注2:同上
バーバー富士のHP(CD通販もある):http://members.jcom.home.ne.jp/barberfuji/
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