UPDATED 06.07.2009
ライブレポート
#221 オペラ『愛の白夜』(改訂決定版) reported by Niseko-Rossy Pi-Pikoe

「海に立ち上がる塔の土台は時間を礎としている」

要所で2度(か3度)歌われたこのフレーズがなかなか含蓄があるように思える。コンサートが終わって忘れないようにとみなとみらい線日本大通駅のホームではしり書き。

塔、とは。タロットカードで塔の意味はあまり良くない。塔はタワーレコード。ヘッド博士の世界塔。金字塔、中村一義。見張塔からずっと、ディラン、ジミヘン。ものみの塔。札幌テレビ塔。塔はフリーメイソンの重要なアイコンだったろうか。お、一柳慧は67年ロックフェラー財団の招聘で渡米したところから作曲家としての活動を始めている。台本の辻井喬、セゾン総帥、六本木WAVE。辻井喬がこの歌詞をどのような意味で配置したのか、どう解釈するのか。

「わたしたちユダヤ人は、どんな困難な状況に対しても変節せず、それを歴史をとびこえて貫く視点があるのです」という静かな覚悟のような気がする。

この公演を観て、鮮やかな印象を与えたのは。

まず、コンテンポラリーダンスの水準の高さで魅了した北村明子、と、その一座「レニ・バッソ」。オペラの心理描写において、説明的に展開されるにとどまらない、舞踏の無重力的な動きの見事さで圧倒した。

次に、杉原幸子役の天羽明惠(あもうあきえ)がハイライトで歌ったアリア。コンポジションを越える説得力。

配役陣では、ゲシュタポにだまされる15さいの少年アギリア役の鵜木絵里で、その細やかな表情と動きに満ちた表現は突出していたと思う。彼女のアドリブ的な創造が編み込まれた、大雑把に捉えても微細に注視しても観る者を歓ばせるような、個性。配役にも順応し、映えた。

それから、ラストシーン。列車に乗り込む千畝夫婦、それを見送るユダヤ人たち。舞台背景の黒い幕がここではじめて開かれて、現実にはおだやかな光ではあるのに、まぶしいような光につつまれる。初演時の写真と比較すると、千畝夫婦を台に乗せて走り去る列車の動きを視覚化したのはより良かったと思う。傾斜のある大きな台が中央に配置されたセット、それを回転させて場面を変えるシンプルさ、天井から下がった円形の有刺鉄線。

以上の4つ。おいらが世界に向かって発信するピーピコ賞は、北村明子、鵜木絵里でした。

さて、オペラとして、この外交官・杉原千畝が6000人ものユダヤ人を救ったというストーリーはどうなのか、どう扱われたのかと、考える。ただのハッピーエンド、ここまではとりあえずめでたしのハッピーエンド、で、オペラの本質である「どうしようもない悲劇性」「救いようのない存在」がぽっかりと穴が開いている、ということがない。だれもがするりと悲劇的で最悪の事態に直面しないで大団円を迎えている。93年のスピルバーグ監督のアメリカ映画『シンドラーのリスト』が流行って、そういえば日本にだってシンドラーは居たのよ、と、有名になった杉浦千畝である。シンドラーが救ったのが1200にんなら、千畝は6000にんよ。おいらの次女きよちゃんの名前に「畝」の文字を登用したのも千畝からだった。

このオペラは、ヒューマニズムでおしまいなのならば、オペラである必然はないのではないか・・・。

・・・やばいな。書いてはいけないことを書いてしまってはいまいか。このストーリーにゲンダイオンガクを持ってくるのは正しい、と一瞬納得してしまうのは、特撮怪獣ものや怪談に現代音楽がぴったりだった、と、変わりがない感覚である。フレイバとしての現代音楽。61年生まれウルトラマン世代のおいらの耳はいびつではあるが。多面体の作曲家と目する一柳慧、戦後・昭和の大作曲家、が、どうコンポジションを構成したか、どうも一柳は物語に順当なサウンドを自分の引き出しにある作曲手法だけで、いわば部品だけで形を整えていただけのように思う。

そんなところで、プログラムにあった評論家の三浦雅士テキストがヒントを与える。「ポストモダンの荒廃を逆手に取って、詩人と作曲家はクリシェを並べることになった。」「濃厚に立ち込めるのはむしろ昭和の匂い、昭和20年代30年代の東京の匂いである。」「その主題を選び、そこに世代の言葉を込めることを選び取った二人の必然性こそが感動的なのである。」、そういうふうに捉えるといいのか・・・。「本質的な作品がつねにそうであるように、このオペラもまた遺言に似ている。21世紀への遺言である。」という最後の一文、おれにはずいぶんな皮肉に読める。

作曲と台本については、これでいいのか、とも思うし、おれのような感想なぞ織り込み済みで、「あえて」だとすれば、そうなのだ。そうか、千畝は戦後神奈川県民として過ごしたので、この神奈川県の記念行事的なオペラの題材になったのでしょう。現代音楽のひとでオペラは死んだと考えるひともいるようだけど、おれはそう思わない。一柳慧について、所属する東京コンサーツのサイトを見ておどろく、綿谷りさが作家として所属している、綿谷りさが台本を書いて、権代敦彦が地の部分を作曲して、アリアと歌・合唱部分を新実徳英が作曲するというのはどうだろう、平成版『愛の白夜』、タイトルも変わるか、彼らなら、愛のなんとかは思えば昭和の感性だ。

冒頭に書いた辻井喬の一節、「海に立ち上がる塔の土台は時間を礎としている」、は、なんとも詩的であるし、ユダヤ民族らしいものであるように感じる。どのような経緯でこのテキストが挿入・創作されたのか辻井喬にきいてみたい。JT

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