# 248
オペラ『カプリッチョ』と『ヴォツェック』
reported by 丘山万里子
『カプリッチョ』
2009年11月23日
@日生劇場
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
指揮:沼尻竜典
演出:ジョエル・ローウェルス
『ヴォツェック』
2009年11月26日
@新国立劇場
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
指揮:ハルトムート・ヘンヒェン
演出:アンドレアス・クリーゲンブルク
photo by 林 喜代種
昨年11月に観たオペラ公演『カプリッチョ』(二期会)と『ヴォツェック』(新国立劇場)は、演出の才が大きく前面に出たステージだった。
『カプリッチョ』はR.シュトラウス最後のオペラで、美しい伯爵未亡人の誕生祝いのオペラ創作をめぐる詩人と作曲家の求愛劇だ。それぞれの詩と音楽の素晴らしさに、彼女はどちらとも決めかねたまま幕となる。
1942年、ナチス支配下のドイツで、最晩年の作曲家は「詩か、音楽か」をテーマとしたこのオペラを書いた。全編、高雅で優美な音楽と言葉遊びに満ちあふれた1幕の逸品である。
今回の公演の演出家ジョエル・ローウェルスは、ステージをナチス占領下のパリとした。冒頭、シャンデリアが降ろされ荒れ果てたサロンに、親衛隊がどやどやと入って来るシーンで、観客は前奏曲の甘美な弦楽六重奏の背後にあるものを知らされる。
そして終景、彼女に愛を捧げた詩人と作曲家、舞台回しとなる劇場支配人らは、再びサロンに踏み込んだ親衛隊に追われ、腕にユダヤの星の腕章をつけたコートをはおってその場を逃れてゆくのだ。
演出家は、戦後、親ナチとして裁かれたシュトラウスの内面や時代の暗黒を、ほとんど虚ろなまでに美しい音楽のなかに浮かび上がらせる。
演出ノートには、作品の持つ風刺性(芸術表現やオペラそのものへの)にとどまらず、作曲家の抱えた苦悩からの人間的なメッセージを読み取りたい、とあった。
だが、果たしてその意図が日本のどれだけの観客に伝わったか。
1980年の日本初演から30年近く、華やかな音楽にのって繰り広げられる芸術論的会話劇という創り自体が日本人には馴染みにくいものだし、そこに大戦の暗い影を落とすことで了解される歴史の残酷を深く受け止め得る観客は、西欧と異なり、そう多くはあるまい。
と言って、シュトラウスのいわば虚構の美をそのままにステージにしつらえることがより良いわけでもないのだが。
一方の『ヴォツェック』は、『ルル』とならぶアルバン・ベルクの傑作だが、シュトラウスが貪る耽美爛熟の時代の前夜にあって、表現主義の青ざめた恐怖をそのまま描くものだ。
演出のアンドレアス・クリーゲンブルクはステージに水を張り、ヴォツェックが内縁の妻マリーを殺し、自分も溺死する沼地をつくりだした。
人が動くにつれピチャピチャ跳ねる水音、飛沫、背後のスクリーンにゆれる水紋は、貧しい兵卒ヴォツェック、マッチョな鼓手長との浮気に走る妻マリー、ヴォツェックをいたぶる大尉、医者ら登場人物の鬱屈した心象を徹底して映し続ける。
ヴォツェック、マリー、息子以外の登場人物はみな視覚的に極端にデフォルメされ、張られた水によっていっそうの凍度・寒気に冷える。
兵隊や群衆の声(合唱)のみっしりした不気味さもまた、物語の水圧となる。
加えて、クリーゲンブルクはほとんど全てのシーンに彼らの小さな息子を置いた。この少年のふるまいは、時に母を、父を告発し、時に哀しく寄り添う。
ラストシーンで、はやしたてるように母親の死を告げる子供たちに向ける少年のまっすぐな眼差しは、この陰惨なオペラを射抜くようだった。
演出家は、時代を超えて不変なものとして、権力の圧倒的な力を挙げている。貧困によって肉体を、労働を売って家族を養わねばならない社会の構図は昔も今も変わらず、人間の生活は誰かの不幸の上に成り立つものだと。そうして、貧困のひずみは世代から世代へ受け継がれるとも。息子はその象徴とのことだが、つまりは貧しい者はいつまでもその貧しさから抜けられない、ということなのだろうか。
いずれにせよ、社会に見捨てられた人々、権力に圧殺される人々への共感を、彼はステージでさまざまに示して見せた。
オペラパレスの華やかなロビーで、休憩時、観客はどんな会話を交わしただろう。
二人の演出家はいずれも、時代の権力を告発する視点を明示した。
そこには人間の抱える不変、普遍のテーマがあるはずだが、戦争責任を水に流す日本人に、ナチ支配のもとで苦悩する『カプリッチョ』での芸術家は他人事でしかあるまい。
『ヴォツェック』のロビーにも「なんだか暗いオペラね。」と敬遠する空気はあった。が、それは貧困が私たちの周囲に現実としてあることの裏返しでもあろう。
このステージは嫌が上にも、「オペラハウスなどで、わざわざ見たくはないもの」を観客に見せつけ、一種の居心地悪さを引き出した。作品それ自体と演出との相乗が生んだ力と言えよう。
海外から演出家を招聘するステージは多いが、西欧オペラの歴史・伝統を前提とする新解釈がどの劇場でも通用するとは限らない。招く側も招かれる側も、それぞれの現場の持つ文化的特性を認識する一方で、不変・普遍の人間の姿をいかに描くか、両者を見据えた仕事が必要だろう。
この2演目、昨夏死去した指揮者若杉弘のオペラへ寄せる思いをはからずも伝えるものとなった。『カプリッチョ』日本初演は若杉だったし、新国立劇場での『ヴォツェック』も、08年の『軍人たち』も、彼が望んだ演目であった。
日本人指揮者として彼が拓いた国際舞台への道は、今回『カプリッチョ』を振った沼尻竜典らの世代に確実に受け継がれているが、演出家は未だし。
グローバル・スタンダードを謳う新国立劇場であれば、海外に飛躍する日本の若手演出家をもどんどん輩出して欲しいものだ。
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