#  398

アレクセイ・ヴォロディン/ピアノ・リサイタル
2012年1月25日 @東京オペラシティ・コンサートホール
Reported by 悠 雅彦
Photos by 林 喜代種

曲目:
1)即興曲集 D899 op. 90 (シューベルト)
2)ピアノ・ソナタ第8番ハ短調 op. 13「悲愴」(ベートーヴェン)
3)楽興の時 op. 16 (ラフマニノフ)
4)《ペトルーシュカ》からの3楽章
  1.ロシアの踊り  2.ペトルーシュカの部屋  3.謝肉祭の日

 即興曲(第1番ハ短調)の冒頭のオクターヴ音が豪快に、いささかも恥じらいのない明快さで宙を突くように響いた瞬間、直感した。このピアニストは思索型でも、かといって観念の海に泳ぐかのような情動性に乏しいタイプでもなく、ピアノ演奏を通して役者のように演技をする中で最良の表現者たらんとしている人だ、と。それが演奏楽曲によって、ときには曲のパッセージの性格によって男性的な力感を強調したり、それとは対照的に夢みる乙女を思わせる眼差し、あるいは恋する女の切実な告白を浮かび上がらせるのだ。恐らくはその結果といっていいと思うが、19世紀から20世紀にかけて絢爛たるピアノ奏法の美の系譜を生んだロシア・ピアニズムの伝統美が、このピアニストの演奏に光背となって現れているようにも感じられる。だが、先述したドラマティックな表現性の幅広さは、たとえば<ロシア・ピアニズムの継承者たち>と銘打ってトリフォニー・ホール主宰のコンサートで来日したアレクセイ・リュビモフをはじめとする数々のピアニストと較べても遜色のない、スケールの豊かさや表現の特異性という点では出色といってもいいピアニストだった。
 アレクセイ・ヴォロディン。今年35歳になるこのピアニストを指揮者のワレリー・ゲルギエフが高く買っているのも、互いに共通する表現におけるドラマティックな音楽性を考えれば容易にうなづける。この夜のプログラムは、5曲からなるシューベルトの「即興曲集」、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番ハ短調、後半がラフマニノフの6曲からなる「楽興の時」とストラヴィンスキーの「ペトルーシュカからの3楽章」。
 このプログラムの構成の妙は、実は最後の「ペトルーシュカ」を聴いている最中に気がついた。ヴォロディンの演奏では、技巧の限りを尽くし、ピアニズムの表現の限界に挑戦するかのようなストラヴィンスキー作品に呼応する作品がベートーヴェンのソナタであり、ラフマニノフに対応した作品がシューベルトだったということに。そうだったのか。つまり、ベートーヴェンの「悲愴」とストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」の演奏は、過剰な思い入れを排して、明快で力強いタッチから迸るロシア・ピアニズムならではの美しいソノリティーを強くアピールしたもの。特に、人形遣いが操るペトルーシュカ、バレリーナ、ムーア人が葛藤しあう舞台上での目まぐるしい動きを表現したストラヴィンスキー作品にあって、ヴォロディンはまさに役に扮した舞台俳優たちがステージ上で演技の限りを尽くして縺れあうさまを、ピアノ演奏で見事に演じて見せたのである。しかも、それはラフマニノフの「楽興の時」でも同様だった。シューベルトの「即興曲」を経てラフマニノフへと紅潮化したヴォロディンの演奏は、分けても変ロ短調で始まる短調の4曲で、やはり舞台上で思いの丈を吐露する女優の台詞と切実な心のうちをピアノで演じてみせたものと聴いた。その意味ではまさに見もの(聴きもの)というべき演奏だった。
 その中での圧巻は、やはりストラヴィンスキー。こういうドラマティックな演奏を体験すると、ディアギレフの要望でバレェ音楽とならなければ、ストラヴィンスキーが当初構想したピアノ・コンチェルトとして世に出たかもしれない、と思わずにはいられない。バレェ音楽の方が原曲だとすれば、「ロシアの踊り」、「ペトルーシュカの部屋」、「謝肉祭の日」から成るこのピアノ曲は編曲作に当たるが、ヴォロディンの演奏で聴くと、あらためて凄まじい曲と実感する。この2日後にバレェ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)を聴く機会があった(ダニエル・ハーディング指揮新日本フィルハーモニー交響楽団)が、まるで別の曲のように聴こえた。バレェ音楽の方は素晴らしい色彩美で、かつ印象深い秀演だったが、聴き終えた瞬間ピアノによる「ペトルーシュカ」をもう一度聴いてみたいと思ったのも、役者の大熱演と重なるヴォロディンの熱い演奏ゆえだったろう。
 すでに何度か来演しているようだが、私は初めて聴いて強く印象づけられた。
何度か来日している割には評判のほどは聞こえてこないが、ロシア・ピアニズムの真髄の一端に触れる意味でもっとクローズアップされてもいい俊英ピアニストと聴いた。  









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