『Jon Balke/Book of Velocities』

ECM/ECM 2010 (2007年)

●Jon Balke (p)

●Chapter I (Giada - Scintilla - Spread - Castello − Resilience)/Chapter II (Single Line - Nyl - Double Line)/Chapter III (Obsidian - Sunday Shapes - Gum Bounce - Finger Bass − Contrivance)/Chapter IV (Drape Hanger - Septima Llegada - Reel Set - Scrim Stand)/Epilogue (Sonance − Nefriit)

●Produced by Manfred Eicher
●Recorded at Radio Studio DRS in Zurich, September 2006
●Tonmeister : Markus Heiland

 ノルウェーのピアニスト ヨン・バルケの名前が脳裏に刻まれたのは1992年にECMからリリースされた『ノンセントレイション (Nonsentration)』というアルバムを聴いた時だ。これは、ニルス・ペッテル・モルヴァルのトランペットを含む3人のブラス奏者、テナー・サックスのトール・ブルンボルグら3人のリード奏者、アウドゥン・クライヴェやミキ・ンドイエら4人の打楽器奏者とバルケのピアノ&キーボードという編成のラージ・アンサンブル「オスロ13」名義のアルバム。
 バルケが後にマグネティック・ノース・オーケストラやバタグラフ名義で展開していくアンサンブル・ミュージックの萌芽があちこちに見られる『ノンセントレイション』の冒頭、彼のピアノの清冽な音列を聴いた時、この人のピアノ・アルバム (トリオやデュオ、あるいはソロ) を聴きたいと強く思った事を覚えている。ヨン・バルケは作編曲、そしてアンサンブルの中で様々な音楽言語 (そして言語そのもの) が交錯していく様に関心があるらしく前述の二つのユニットによる活動 (それは大変素晴らしいものだ) が続くのだが、初めて『ノンセントレイション』を聴いて15年、やっと彼のピアノ・ソロ・アルバムに接することができた訳だ。

 本作『ブック・オブ・ヴェロシティズ (Book of Velocities)』は、曲名表記の上では19の演奏が4つのチャプターとエピローグに振り分けられているが、曲間を聴き手はあまり意識せずに、コンポジションとインプロヴィゼーションの動感と色彩感を楽しみ、耳をそばだてる事になるのだが…
 この作品の素晴らしさをなんと表現したらいいのだろう。
 一聴して、いかにもECMらしいピアノ・ソロ・アルバムという形容はおそらく誰もが思い浮かべる事だろうが、聴き進むにつれて、ポール・ブレイやキース・ジャレット、チック・コリア、そしてスティーヴ・キューンやリッチー・バイラークらのピアノ・ソロ作品のどれとも違うと思うはずだ。
 その違い…と云うより、このアルバムでのバルケの演奏を特徴づけているものに、何度も立ち現れるピアノの内部奏法がある。現代音楽のトーン・クラスターや内部奏法、そして (ジョン・ケージの) プリペアード・ピアノに端を発し、フリー・インプロヴィゼーションでよく取り入れられる奏法である。現代音楽のプリペアード・ピアノが作曲者の指定に従い、予めピアノ弦に異物を置いたり挟んだりするのに対し、フリー・インプロヴィゼーションの内部奏法は、演奏者が即興的にピアノ弦に異物を置いたり挟んだり、あるいは手で直接ピアノ弦を叩いたり擦ったりする。

 バルケの本アルバムでの内部奏法が、どこまでコンポジションで指定したものなのか、あくまでも即興によるものなのかはわからないが、異物は使ってないようだ。バルケ自身の手で、ピアノ弦を叩いたり擦ったりして、金属的な音のゆらぎやエレクトロニスを使っているかと聴き手が錯覚するような背景音を、そして時にはピアノ本体を叩いて低く響く打音を作り出す。
 普通、フリー・インプロヴィゼーションでのピアノの内部奏法が、演奏の流れを非音楽的なものに転移させる事が多いのに、ここでのバルケの内部奏法は、演奏を音楽から決して逸脱させない。余白の美しい清冽なピアノの響きと内部奏法による響きは反発することなく一体となって、彼の美学をピアノの上で交錯させる。
 交錯する?
 ここでの演奏に、地中海やアフリカの律動と北ヨーロッパの歴史が交錯するような、つまりオスロ13からバタグラフに至るまでの音楽を具体的に思い浮かべるような展開は無い。けれどヨン・バルケの今までのキャリアを、わたしは薄皮を1枚1枚剥ぐように眺め味わうような錯覚を覚えた。そう感じたのは、ヨン・バルケの今までの作品をわたしがずっと聴いてきたからだろうか。思い込みが過ぎるだろうか?
 いや、そうではないだろう。
 たった1台のピアノの上で、ヨン・バルケという音楽家の全てが交錯する。そのような演奏をしてみせた、これはまことに優れた即興演奏という事に違いない。JT

(原田正夫)

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