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『射干玉(ぬばたま) 小山薫の世界 [作品選集]』 2枚組 日本伝統文化振興財団/ビクターエンタテインメント株式会社 VZCC-1011〜12 ¥3,990(税込) DISC1: DISC2: たしかに観音様が視えたのだ。晴れた夜だったが、わたしの意識には頭上の彼方に暗闇の中にかみなり雲がうごめいている、そこに薄暗いぼやけた光が浮かび上がり、まさに第2楽章のそのときに観音様がそこに降り立ったのだった。 ヴァイオリン協奏曲を弾いた荒井英治は記している。《・・・終盤近くになり、ヴァイオリンが高い完全5度に収斂されていくと同時に凄まじいカオスが湧き起こる・・・。しかしそのあとに陽炎のように浮かび上がる部分、そこを指して「ここで観音様が出現するんです。」と小山さんはおっしゃった。》 松村禎三の門下生のひとりに2006年に51才の若さで逝去した小山薫がいる。改訂に改訂を重ねる、16分音符を1拍延ばすかどうかで終日考え込むという彫琢の眼差し、作曲家としての社会との折り合いなぞより音楽に対峙することにこだわる孤高の魂だ。 三善、武満、黛、松村、で、世界の趨勢なんぞ追う必要のない地平を拓いたこの表現領野において、小山薫は言葉にせずとも小山薫個人に収束しない表現世界を紡いでいた。この2枚組の作品集『射干玉』にはその結晶化した響きが遺された。 84年にフィリップス盤でクレーメル、ハインツ・ホリガー、岩崎洸らが録音したシュニトケの『ヴァイオリン協奏曲 第2番/ピアノ五重奏曲』を聴いた以来の感動だ。と、書いたあとCDで買いなおして検証したが、小山薫のほうがすごいところまで降りてゆく強度があった。シュニトケの「ピアノ五重奏曲」に対しては小山の「レクイエム〜独奏ピアノのために〜」を対比させてみても明らかだ。小山のヴァイオリン協奏曲に対し、In Tune誌でヒューエル・タークイが「響きが似ているということは一切ないのだが、その宗教的な深い含意において、どことなくベルクの協奏曲に似ている」と書いている。気持ちはわかるが、宗教が異なるときにどこまで有効な物言いか疑問が残る。小山は沈黙の意味を知っている。そして今さらながら、「芸術とは、思い詰めることなのだ」と思う。 ・・・昨年8月6日に逝去した作曲家・松村禎三の作品を集めた「アプサラス第1回演奏会」に出かけ、代表作「阿知女」をライブで初めて体験し、また松村のモアレ状のポップを沸き立たせるピアニズムを秘かに発見、それは、さ、ぶっちゃけジャレットのブレーメンアンコールと類縁だったりもするじゃん、色彩のトーンはそれは異質なれど。で、2008年のジャズはどうなの、コンテンポラリークラシックはどうなの、と、思ったりはしている8月ももう終わり、21世紀のサックス奏者クリスポッターの動向は、2サックス3ギター2ベースドラムレスのモチアン・オクテットは、マサブミキクチがアイヒャーから早くもオファーを受けた新しいユニットは、と、ジャズの発火地点を見据えているところ。フールズメイト初期や松岡正剛マガジン「遊」を視野のオリジンに持つ昭和30年代生まれのおじさんたちの陥穽は、能を現代音楽を博物館に遠ざけたままでいたところ、異議申し立てをせん・・・JT (多田雅範) |