
ピアノ、オルガン、ハープ、作曲。
ミシガン州デトロイトの音楽一家に生まれる。旧姓Alice McLeod。
7才から個人教授についてクラシック・ピアノを修得、ジャズはパリで短期間バド・パウエルについて学んだ。演奏活動は教会のグループからスタート、その後、ケニー・バレルやジョニー・グリフィンなどと共演を重ね、62~63年、義兄のアーニー・ファーロウがベースを担当していた縁でテリー・ギブスvib・カルテットでツアーとレコーディングを経験する。63年7月、グブスのバンドでバードランドに出演中ジョン・コルトレーンと運命的な出会いをし、65年頃結婚に至る。ギブスの証言によれば、ジョンが演奏中のアリスを見初め、シャイなふたりの間を取り持ったのはギブスだという。65年末、マッコイ・タイナーの後釜としてコルトレーン・カルテットに参加、66年7月のコルトレーン、唯一の来日公演に帯同、日本のファンにお目見えする。
翌年7月のコルトレーンの死後は70年代末頃まで自己のグループを率いてクラブやコンサート、レコーディングなど積極的に演奏活動を展開。当時の共演者は、ファラオ.サンダースts、アーチー・シェップts、オーネット・コールマンas、カルロス・ワードas、フランク・ロウts、セシル・マクビーdsラシッッド・アリdsなど多彩。72年にカリフォルニアに移住してからは、演奏活動は減少していった。
一方で宗教全般に強い関心を持ち、後年ヒンズ−教に改宗(ヒンズー名:TuriyaSagittinanda)、75年にはスピリチュアル・センターVedantic
Centerを開設。精神世界に関する著書『Endless Wisdom』を著わした。また、サン・フェルナンド・ヴァレーに開設されたヒンズ−寺院で、スワーミーとして指導にあたっていた。
元来、バド・パウエル・スタイルのピアニストだったが(評論家ジョン・ヘックマンの証言によれば、60年代初期、カメラマンのユージン・スミスのロフトで弾いていたアリスのピアノはアタックの強い良くスイングするバップ・ピアノだったという)、コルトレーンに接近してからはマッコイ・タイナーの影響を強く受けるようになった。さらに後年の演奏にはスピリチュアルな面を強く見せ始めた。息子たちの成長と共にオランg,asやラヴィts(長男のジョン・コルトレーンJr.は82年に交通事故死)を加えたグループでコルトレーン・レガシーを続け、日本でも数回公演を持っている。アリスはコルトレーンの遺産を継承する中で、2001年にはジョン・コルトレ−ン・ファウンデーションの設立に尽力、ジャズの活性化と若手演奏家に対する奨学金援助などの実績も上げている。
2007年1月12日、カリフォルニア州のウェスト・ヒルズ・メディカル・センターで呼吸不全のため他界。生来、虚弱体質で体調を崩すことが多かったという。
遺族はふたりの息子の他に、娘のミシェルと5人の孫たち。(編集部)
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1966年7月10日、東京・大手町サンケイホール午後6時30分、ついにと云うかとうとうコルトレーンが姿をあらわした。小豆色(だったとおもう)のスーツで登場したコルトレーン、彼のニュー・クインテットは「ヴィレッジヴァンガード・アゲイン」でなんども聴いていた筈であったが生の体験はまた格別、会場は異常なまでの緊張感につつまれていたことを今でも思い出す。日本初演の夕刻である。そして、コルトレーンのソプラノがホールのすみずみまでを満たしてゆく。

コルトレーン、P.サンダースがロング・ソロをとり、J.ギャリソンがアルコとピチカートで魅惑的なソロをとっている間、アリスは物静かにピアノに向かいみんなを見守っていた姿が印象深かったことを覚えている。しかしコルトレーンとファラオの激しい咆哮のあとに続くアリスのピアノ・ソロになると、一転二人の激しい呪縛から解放され、正直なところ頭の中は箸休め的な状態になり、当夜のアリスの音ははっきりとは憶えていなかったが、いま「ライブ・イン・ジャパン」を聴き返してみると端正で流麗に淀みなく紡ぐ彼女のロング・フレーズがラシッド・アリのパルシヴなドラミングとぴったりとあってグループの底流を築いていたのであった。
アリスの訃報を聞いて「オラトウンジ・コンサート」、「ライブ・イン・ジャパン」等を聴いた。当時はファラオ抜きで演奏してくれたら、などと思ったこともあったが、あらためて聴き直してみるとファラオも素晴らしい。荒々しい中にも現在のスピリチュアルな原型を発散し見事な程つぼにはまっている。コルトレーン亡き後、アリスはしばしばファラオやラシッド・アリと作品を残しているがこのユニットは真に共鳴できるものがあったのだろう。

コンサートの前日(だったとおもう)、なんとなく予感がして新宿の街を歩いていたら、歌舞伎町の一角(某天麩羅家)でコルトレーンの一行と出会う。コルトレーンは当時ベジタリアンと聞いていたが野菜天でも食していたのだろうか。
店から出たところでコルトレーンご夫妻にご挨拶をさせていただいた。お二人とも落ち着いて、しっかりと目を見て挨拶をしてくれたが、そのおだやかで優しい眼差しはわたしにとって至福の記憶となった。コルトレーンと結婚して2年目、当時未だ20代のアリスの、夫君ジョンに初々しく寄り添う姿は爽やかな安らぎを辺りにもたらしていた。そして最後に握手を交わしたコルトレーンの大きくて分厚い手の温もりはいまだにはっきりと残っている。

アリスは昨2006年の秋、息子のラヴィ・コルトレーンとコルトレーンの生誕80年を記念し「The Translinear Light Concert」と銘打ったコンサート・ツアーをミシガン、ニュージャージー、サンフランシスコで行い、この2月には新作「SacredLanguage
of Ascension」をリリースする予定だったというから正に予期せぬ突然のアクシデントのようだ。
アリスの数多い作品の中で`75年の「ETERNITY」(Warner)が一番アリスらしい情景が描かれていて好きだ。今日はアリスの冥福を祈って一日「ETERNITY」を聴きながらアリスの冥福を祈ります。(フォト・ジャ−ナリスト/レコード・プロデューサー)
