
お盆前の8月、陽が昇るとたちまち気温はぐんぐん上がってひどく暑い、そんな朝のことである。晴天の霹靂(へきれき)のようなメールが飛びこんできた。コロンビア大学ジャズ研究センターが開催するアメリカで初めて行われる国際ジャズ・ジャーナリスト会議にパネラーとして参加しないか、という誘いだった。そのボスはコロンビア大学の教授であり、トロンボーン奏者、そしてインターラクティヴなコンピュータ音楽ソフト“Voyager”の開発・演奏者として知られるジョージ・ルイス。メールはその会議を開催するにあたって協力しているThe Jazz Journalist Associationのハワード・マンデル会長からだった。
しかし、なぜ私に?その疑問はいまだに解けていない。誰かが推薦したことは間違いないし、その誰かが日本人でないことは99%確かだろう。日本人の音楽関係者で海外と様々な形でパイプを持っている人はそれなりにいるはずなのだが… 私はといえば、日本の所謂ジャズ業界人やレコード会社との繋がりはあまりない。それゆえにマトモにお金が出る仕事にもほとんど無縁で、インタビューにしても過半数は自分が話を聞きたいから出かけることにし、その前後に編集者にねじ込むというパターンだったのである。
ベルリン界隈などをスタスタ歩いていたからだろうか。私が出るパネルの参加予定者にはベルリンのマキシー・ジッカートの名前もあった。彼女に出会ったのは2003年のベルリンジャズ祭、藤井郷子&吉田達也のデュオが行われたクラブ「クワジモド」である。藤井・吉田デュオの演奏後にちょっとしたきっかけで話し始めたのだが、その年の日本特集のトンデモナイ人選に憤慨して私は机をバーンと。それが最初の出会いである。マキシーの好みは結構私に近い。つまり、オーソドックスなジャズについて語る評論家だけではなく、異なった視野を持つジャーナリストも招聘しようということなのだろう。その少し後でチューリッヒのパトリック・ランドルドから来たメールに「僕もコロンビア大学の会議に出るよ。そこで9月に会おう」と書かれていた。どうやらベルリンで出会った人達とニューヨークで再会ということになりそうである。
じつはアメリカ大陸に降りたのは、二十年ぐらい前に北回りヨーロッパ便で帰国した時に給油のために帰港したアンカレッジ空港内だけなのだ。当然ニューヨークは初めて。チップの渡し方がわからないと友人に聞き、地理的に疎いのでガイドブックを買いに走るわ、周囲に呆れられる始末である。
ジャズについて書いているのに、ニューヨークはおろかアメリカにさえ行ったことがないなんて、と驚かれる。ヨーロッパには気楽に出かけているのに、と。私はアメリカのジャズが嫌いなわけでもないし、アメリカ人のミュージシャンに友人・知人もいる。当然、それについて書いたこともあるし、大学でジャズ史について講義していた時期もある。ただ、さあ出かけようというモチベーションが湧かなかっただけなのである。
それは合理的な理由だったのだ。ヨーロッパのジャズ祭に行く方が、少なくとも私がクリエイティヴな活動をしていると思われるアメリカ人のミュージシャンを観るチャンスが多かったからだ。ベルリンにせよメールスにせよ、それぞれのアンテナは異なるが音楽監督はしっかり世界を見ようとしていることは確かだし、情報もキャッチしているのである。アメリカの都市を訪れ、クラブをハシゴすればその雰囲気は味わえるだろうし、玉石混淆もまた現実のうち、時間が許すのならきっと楽しい経験ができるだろう。しかし、短期間では得られる情報は限られる。ヨーロッパのジャズ祭は、アメリカ人の演奏もヨーロッパ人やその他の地域から来たミュージシャンの演奏にも触れられるので、海外に行くにも時間的な制約がついてまわる私にとっては貴重な定点観測ポイントとなっていたのだ。
もう一つの理由は、日本のジャズ雑誌がひどく偏向していたからである。日本人のジャズライターを名乗る多くはアメリカを見、ヨーロッパはずっと視野の片隅にしかなかった。実際にはクリエィテヴな動きがいろいろあったが、それは重要なことではない。なぜなら大手レコード会社はそこを見ていなかったからである。そして、私の知る限り30数年前と大差のない誌面作りをしているジャズ雑誌は国内盤に関する話題がひとつの中心である。経済的な理由はよく理解できるが、多くのジャズライターを名乗る人達が書く文章は、ライナーノートにせよレビューにせよ、その下請け仕事的な色彩が濃い。確かにそれ自体必要な情報ではある。だが、それだけでいいのだろうか。今どこでなにが起こりつつあるのかという視点がずっと欠落したままである。今は、ユーロ・ジャズや北欧ジャズとヨーロッパの一部のミュージシャンが急にもてはやされるようになった。しかし、これも所詮作られたブームにすぎないと思う。中には本当に素晴らしいミュージシャンや大いに期待できる若手がいたりするが、それはユーロ・ジャズだの北欧ジャズなどという括りとはまた別の次元の話だ。私はもっとグローバルに、そしてローカルに物事を見たかったのである。だから、かれこれ20年に亘って時間の隙間をつくってヨーロッパへ向かう飛行機に乗っているのだ。
9月下旬になってもちっとも秋の気配が感じられぬ東京を後にして、ジョン・F・ケネディ空港に降り立った。あちこちの空港に降りたが、これほど無愛想な空港はない。9.11以来こうなってしまったのだろうか。そういえばどこの空港でも必ず見かける「ウェルカム」という単語でさえそこにはなかったように思う。
パスポート・コントロールでは長い行列にうんざりさせられた。やっと順番が来て入国審査官の前に進むとまず「入国目的は?」と聞かれたので、「これに招かれた」と書類を見せた。書類の一番上に書かれた文字を見ながら、「コロンビア大学は大きな大学だよね。ジャズ・・・僕もジャズが好きだよ。ミュージシャン?歌手?ああクリティックね。ああここに名前があるな。僕はいつもカミサンとお袋に批評されてるよ。ハ、ハ、ハ」などと話し出す。これもまたアメリカならではの体験なのか。後ろで待たされていた人は怪しげな人物として詰問されていると思ったかもしれない。ところであの入国審査官はいったいどんなジャズが好きなのだろう?聞いておけばよかったと後悔した。だが、決して悪い出だしではない。きっと幸先は良いだろうと勝手に思うことにした。