UPDATED 12.17.2007

横井一江 Column #14秋のニューヨークへ(後編)Jazz in the Global Imaginationコロンビア大学、そしてハーレム〜国際ジャズ・ジャーナリスト会議に出席して〜

 長い一日の始まりである。
 土曜日の朝、コロンビア大学のキャンパスはまだ静かだ。会場となったのはジャーナリズム大学院。ここはジョーゼフ・ピューリッツアーの寄付により設立された大学院で、ピューリッツアー賞の選考委員会もここに置かれている。しかし、コロンビア大学に到着した時に、まず頭に浮かんだ出身者はなぜかアレン・ギンズバーグだった。幾多の著名人、文化人を排出した名門大学なのだが、なぜアカデミックな文脈ではある意味異端者であった彼なのか。白石かずこが書いているように「アレン・ギンズバークの存在の偉大さは、詩と人間とがぴたりと一体となって時代を呼吸し、時代の行方を風見鶏のように予言し、警告を発していることにある。しかも彼の詩は、詩人たちや世の文学愛好家たちという選ばれた読者層だけではなく、多くの人々のココロに、生き方のひとつの指針と勇気を与えた」(註1)からだろう。それが私のその時の気分にシンクロしたからに違いない。

 会場に集まっているのはパネリストと関係者、ちらほらと一般聴衆もいる。とはいえ、朝早い時間からこのような場に来る人だから音楽関係者なのだろうと思って見回したら、ピアニストのD.D.ジャクソンの顔を見つけた。他に後で紹介されたのだが、デクスター・ゴードンの未亡人も朝一番から来ていた。その後、徐々に聴衆者が増えたのだが、音楽関係者に交じって、ミュージシャンも結構いたらしい。
 欧米ではジャズ関連のテーマでシンポジウムやパネル・ディスカッションが度々行われているが、ニューオリンズや西海岸などのアメリカ各地、ヨーロッパ各国だけではなく、メキシコ、トルコ、ロシア、南アフリカ、日本と10数カ国からパネリストを集めて行われるのは、世界的にみても他に例がない画期的なプログラムであることは間違いない。ここに集合した論客は中堅からベテランのジャズ・ジャーナリズムに関わる人達であるが、ライター、雑誌編集者、放送関係者、オンライン・ジャーナル主催者、研究家等々、その活動領域は様々だった。

 午前9時15分、ジョージ・ルイスの開会の辞、The Jazz Journalist Association(JJA)会長ハワード・マンデルの挨拶で国際ジャズ・ジャーナリスト会議は始まった。この二人の言葉には、Web2.0時代を迎えて少なからぬ危機感を感じていることがわかる。ルイスの「メディア・バブル」という表現は言い得て妙だ。
 最初のパネル「The Global and The Local」が私の出番である。司会進行役を務めるジョージ・ルイスが再び前口上を述べたあと、まずメキシコのアラン・デルベスがメキシコのジャズについて話しを始めた。メキシコのジャズ史についての著書もある彼の、「ラテンアメリカ諸国からは唯一の参加者なので、それを踏まえて・・・」という言葉に、アメリカと中南米諸国との政治的、文化的距離感と他のヨーロッパやロシアからの参加者も皆感じていた「ここはアウェイである」という心持ちが、隣に座っている私に伝わってきた。恥ずかしながらメキシコのジャズについては、せいぜいキューバ生まれのモンゴ・サンタマリアがメキシコにいたという知識があるくらいでこちらはまったく無知である。「ジャズはグリンゴ(註1)の音楽と見なされていた」という言葉が興味をひく。これはアメリカの黒人ミュージシャンにとっては大いなる皮肉である。ジャズといっても、それぞれの国、地域によって受容のされかたは異なるのだ。
 次に出番が回ってきた。テーマからして内容は日本のジャズについてである。会場にいる人達は音楽関係者とはいえ、個別に何人かの日本人ミュージシャンについては知っているかもしれないが、日本のジャズについてはおそらくは私のメキシコのジャズに対する知識とどっこいだろう。まずごくごく簡単に日本におけるジャズ受容史をかいつまんで話した。そして60年代後半、単なるイミテーションではなく、独自の音楽表現を模索するミュージシャンが現れたこと、それがフリージャズの勃興と重なっていたことをこれまた簡潔に述べる。そしてまた、現在独自の音楽表現で世界的に活躍しているミュージシャンとして、“渋さ知らズ”、 藤井郷子や大友良英の名を挙げた。
 “渋さ知らズ”は、日本だけではなくヨーロッパでセンセーションを巻き起こしたことは間違いない。そのヨーロッパでの知名度は1970年代の山下洋輔を凌ぐものがある。今年パリでは、デイヴィッド・マレイとも共演。それもマレイの希望によるものだったという。そういえば、随分前にマレイと雑談している時に、「“渋さ知らズ”はいいバンドだ。エナジーがある」と言っていたのを思い出す。日本のジャズ=“渋さ知らズ”と短絡して受け取られるのも大困りなのだが、とにかくヨーロッパで最も知られた日本人バンドであることは事実だ。その“渋さ知らズ”の名を出したところ、会場最前列から「ハ、ハ、ハ」という笑い声が。イタリア、ピサのフランチェスコ・マルティネリである。彼はフェスティヴァルを主催したり、さまざまな進歩的なジャズ、即興音楽のイベントにも関わってきたので、どこかで遭遇したに違いない。後で、ハワード・マンデルに“渋さ知らズ”のスペルを質問された時に、「書いてやるよ」と代わりに彼に教えていた。JJA会長たる彼もそのグループ名を知らないのに、ヨーロッパでかなり知名度があることがわかって、怪訝そうな顔をしている。アメリカ抜きで日本とヨーロッパ間でミュージシャンの交流があることを初めて知ったのかもしれない。断っておくが、彼はかなり進歩的な音楽にも理解のある希有な評論家である。親離れした子供のように、広義のジャズは既にアメリカを離れているのだ。
 用意した映像は富樫雅彦と佐藤允彦のデュオDVD『コントラスト』である。丁度この国際ジャズ・ジャーナリスト会議の話がきた直後、富樫雅彦の訃報に接した。それゆえ、追悼の気持ちが多少なりともあったことは確かである。しかし、それ以上に富樫や佐藤の音楽への対峙の仕方はある意味ローカルでありながら、それを超えてグローバルに受け入れられる美学があると思ったからだ。実際、隣の席のデルベスを始め何人かにそのスペルを聞かれた。遠くを見るようにじっと画面を見入っていたジョージ・ルイスの表情がなんとも言えずよかったのだが、会議終了後「僕は富樫と共演したことがあるんだよ」と言うではないか。実際調べて見ると1989年に埼玉のSpace Whoで富樫と豊住芳三郎と共演していたのだ。私が見た富樫の最後のライヴもSpace Who。縁は異なものである。
 このパネルでは、他にフランスのアレクサンドル・ピエールポンとトルコの放送局で仕事をしているセダ・ビンバジルが話をした。ピエールポンはフランスではミュージシャンが文化的、また政治的なことをその音楽活動に反映させるかどうかは個人のミュージシャンに属することでしかないこと。特徴づけるのなら、連帯感を尊重する中で個々の立ち位置を見つけていることだと語っていた。最後の発表者ビンバジルが前段としてアメリカのジャズにおける人種、ジェンダー、階級、社会問題との関わりについて、この場に居る人ならば当然常識として知っていることを長々と講釈したのには参ったが、トルコでは主にインテリの間でアメリカのジャズが聞かれているらしい。イスタンブールの音楽シーンは活気があるということを、ワールド・ミュージックの分野で語られているのを耳にしているし、実際に映画『クロッシング・ザ・ブリッジ』は面白く、メルジャン・デデの東京公演には感銘を受けた。彼らの演奏には少なからずジャズの影響が感じられるので、そのあたりの話が聞きたかったのだが残念ながら肩すかしであった。それでも、トルコのジャズは30年代に始まり、ナチから逃れてトルコにやってきた黒人やジューイッシュが広めたという件(くだり)は大変興味深かった。

 昼食時間、ロシアのキリル・モシュコウが声をかけてきて、「奇遇だね。僕は1週間ほど前に“渋さ知らズ”を観たんだ。インタビューを申し込んだが、ミュージシャン側の時間が取れなくて叶わなかった。次回は是非話しを聞きたい。僕には小森慶子のソロが特に印象的だった」と話し始める。また、「富樫はもちろん、佐藤のピアノも素晴らしかった」と。彼はJazz Ru(註3)というウェブ・マガジンから出発して、現在は同名の雑誌を発刊している。彼と雑談している最中、中国の音楽状況について語ったユージン・マーロウが話しかけてきた。日本のジャズについての著書(註4)を読んだらしい。すかさずモシュコウが「彼はロシアについても書いているけど(註5)、僕は大いに異論がある」と切り返した。私も右に同じである。二人でマイナーの著書について大いに反論しようと思った矢先、アメリカのジャズ評論家界では重鎮であるラッガース大学のダン・モーガンスタインの話が始まってしまった。もう既に70歳はゆうに超えている筈だが矍鑠(かくしゃく)としている。彼のお話を拝聴しつつ、昼食休憩時間は終わってしまった。


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 他に休憩、昼食を挟み、「How The Other Half Lives: Music in Local Scene」、「Globalizing the Personal」、「New Music, New Aesthetics」、「Journalism and History」というテーマでそれぞれ4名のパネリストが発表・討論を行った。ここで全てのパネルをダイジェストすることは不可能であるが、幾つか印象に残った発言をひとつふたつ書き留めておく。
 ニューオリンズからやってきたジェニファー・オデールがニューオリンズでは以前よりジャーナリストは忙しくなっているが、それは犯罪等が増えたからであって(音楽などの)ソフト・ニュースの比率は落ちたままだということ。また、休憩時間に個人的に話しをしたジェイソン・ベリーは「ニューオリンズでは40%の人がまだ戻ってこれないでいる。復興は神戸のようには進んでいない。それは政治的な問題もあるのだが」と語っていた。
 興味深かったのは、司会進行役のレアンダー・ウィリアムスが「果たして新しい美学は必要とされているのか」とジョン・コルトレーンの曲をまずかけた「New Music, New Aesthetics」である。ドイツのマキシー・ジッカートが、ベルリンやウイーンの全く新しいタイプの即興音楽の一例として、アクセル・ドゥナーの呼吸音を用いたノン・エモーショナルなソロをかけた時、会場にいた多くの人が「いったいこれはなんなのだ」ととまどった空気になったこと。彼らの音楽活動を知り、インタビューをした経験もある私としては、限られた時間の中では致し方ないのだがいささか説明不足だったかなという感じがした。ゆえに余計唐突な印象を与えた気がする。ジョン・ブッチャーにしろ、ドゥナーにしろ、ジャズとの繋がりはあるが、彼らより若い世代はまた違う。このあたりの話は個人的にもっと聞きたかった。いずれにせよ、フリージャズから発展した即興音楽はもう随分とジャズから遠い場所へ来ていることは間違いない。

 この会議、いやフェスティヴァル「Columbia/Harlem Festival of Global Jazz」のフィナーレは11名によるディスカッションである。顔ぶれはグエン・アンセル(南アフリカ)、セダ・ビンバジル(トルコ)、クリスチャン・ブロッキング(ドイツ)、スタンリー・クロウチ(アメリカ)、フランシス・デイヴィス(アメリカ)、アラン・デルベス(メキシコ)、アレックス・デュティル(フランス)、ゲイリー・ギディンズ(アメリカ)、ベン・ラトリフ(アメリカ)、グレッグ・テイト(アメリカ)、そして私、司会進行役はハワード・マンデルだ。それまでのパネラーは中堅世代だったが、ここでは中堅から大御所まで、また保守的な評論家から、彼らとはまったくスタンスの異なる私まで。テーマは「Jazz in the Global Imagination」。会場は、いつの間にか人で埋まっている。よく見るとデューク・エリントンの孫にあたる女性もいた。
 ステージに座らされて始まるのを待っているとハワード・マンデルが近寄ってきて囁いた。「最初に指名するからね」と。3分間の持ち時間の発表で誰が何を言ったのか詳細に記載することは不可能だが、私だけではなく多くのパネリストが変化する時代の中、ジャズそのものが世界中に広がり、また、もはや進化論的に語れなくなった現在を少なからず意識下に置いて話しをしていたのと対照的に、ギディンズの「グローバルではなくまずアメリカについて話すべきた」という発言は非常に保守的で退屈にしか聞こえてこなかったし、クロウチは「他の奴らが話していることには理解に苦しむ」と延々と持論を話し始めたがどれほどの説得力があったのだろう。クロウチは、タイム・ワーナー・センター内にジャズ・アット・リンカーン・センターがオープンするずっと以前、非営利団体としてそれをスタートさせた一人で、ウイントン・マルサリスの後ろ盾ともいえる人物だ。ある意味、保守派の代表ともいえる。全員がひととおり話し終えると、すかさすマンデルが「カズエやクリスチャンは前衛を支持しているが、クロウチの発言に対してどう思うか」と振ってきたので、「既に21世紀である。もはや60年代でも50年代でもない。私はもちろんデューク・エリントンをはじめとするジャズ・ジャイアンツは素晴らしいと思っているし、敬意を払っている。だが、今は昔と経済、社会、政治状況も大きく違う。それなのになぜ旧い価値観にこだわるのか。60年代に既にフリージャズが扉を開けている。例え、所謂ジャズとは表現が異なったとしてもプログレッシヴな音楽を追究する現代のミュージシャンの演奏には、ジャズのスピリットがあると思う。時代は変わっているのである」といったことを言ったら、会場の一部から拍手が。味方を得たり、である。私とは対照的にクリスチャンは生真面目なドイツ人らしい応答をしている最中、クロウチは席を立ってトイレへ。以前に口論となったマンデルを殴ったという話を後で聞いたのだが、それよりはトイレ・タイムの方が紳士的なのか。そして、帰ってきて放った言葉は「クズ!」。パフォーマンスとしてはいただけなかった。
 また、私も含め何人かがWeb2.0についても触れていたが、大きなトピックスには至らなかった。会場からYouTubeについてどう思うかの質問があったが、クロウチは「アマチュアのやることだ」と切り捨てたのに対し、グレッグ・テイトはポジティヴに返していた。それぞれの3分間のトークの中で一番印象的だったのは、そのテイトによるラッパーのように読み上げたテキスト”The Black Brain”だった。クロウチより彼のほうがずっと現代の黒人の立場に立っているように思える。
 これはあくまでディスカッションなので、これといった結論はない。おそらくこれを聞いた人それぞれの考え方で、ディスカッションの感想は大きく違っていたと思う。しかし、共通しているのは、急速に変化する時代の中、グローバルに広がったジャズをめぐる言論も岐路に立っていること、ニュー・メディアへの対応もまた大きな課題となっている。それぞれ少なからぬ危機感を感じていることは確かだ。
 全てが終了したのは夜10時近く。気の合う数人で空腹を満たそうとブロードウエイまで出た。話題は引き続きディスカッションのこと。リラックスしたせいか、終わってしまったのにこんなことを思い付いたので口に出した。「スタンリー・クロウチがデイヴィッド・マレイと演奏していた頃のLPを持っていたわ。あれを持ってきてステージで見せるべきだった」と。大受けである。しかし、こればかりは遅きに失した。残念。
 兎にも角にも長い一日はこうして終わったのである。

 ハーレムとこの会議への出席を踏まえて現在のジャズ・ジャーナリズムに思うことは続編にて。

註1:『詩の風景・詩人の肖像』書肆山田、2007年
註2:(中南米地方で)白人の外国人を指す。軽蔑的な言い方である
註3:雑誌と平行して続けているウエッブ・マガジンJazz Ruは英語版もあり、ロシアのジャズを知る貴重な情報源だ。
http://www.jazz.ru/eng/default.htm
註4:Minor, Willian 2004 “Jazz Journeys To Japan” The University of Michigan Press
註5:Minor, Willian 1995 “Unzipped Souls” Temple University Press