私の撮った1枚 #7 富樫雅彦「歓送会」
text: Toshio Tsunemi 常見登志夫
富樫雅彦(per) 歓送会@新宿“PIT INN”2007.12.08
日時・会場:新宿“PIT INN” 2007年12月8日(土)
この年の8月22日に67歳の若さで亡くなったパーカッショニスト/作曲家の富樫雅彦の「歓送会」には多くの演奏家(40人以上)が集まった(2007年12月8日(土)、ピットイン。翌9日(日)にも出演メンバーを替えて行われた。※発起人は、渡辺貞夫、日野皓正、佐藤允彦、山下洋輔。お客さんも中に入れない人もいるほどの混雑ぶりだったが。
※すべてコンパクトカメラでの撮影
生前、「葬式なんかするなよ、メデタイメデタイってドンチャン騒ぎして祝ってくれ。」と言い残していた富樫の言葉を忠実に守って偲ぶ会などにはせず、どの演奏もすさまじいほどの熱量が込められたステージだった。
富樫は亡くなる5年ほど前から、貧血が進行していて、車椅子に1分と座っていることができず、演奏活動を休止していた。作曲活動と絵画に没頭していたと聞いた。
私が初めて富樫の作品を聴いたのが、名盤と謳われている『スピリチュアルネイチャー』(廉価盤で再発されていた)。ジャズの専門誌、スイングジャーナル(SJ)誌上でも“ジャズディスク大賞の3部門を独占(金賞、日本ジャズ賞、最優秀録音賞)”と大きくコピーが付いていた。まだ高校生の時で、レコードを買うのは1か月に1枚くらいだったか。SJの批評(星の数やゴールドディスク選定など)を頭から信じて疑わず購入していた。
編集部に入ってからもジャズディスク大賞の編集作業を何回かやっていたから、批評家の投票数で賞が決められる、その厳正な集計過程を間近に見ている。年間1,000点以上も制作・販売される、ジャズの新作アルバムの中からの1枚だから、期待度も大きかった。レコードをターンテーブルに載せ、音の大波が襲ってくることを期待していたけれど、あまりにも刺激のない音に肩透かしを食らった思いがした。(単に自分の耳が悪いだけだったと思う。年齢を重ねてその良さが分かってきたことも何度もある)
私がSJの編集部時代は、富樫が佐藤允彦(p)、ゲイリー・ピーコック(b)とのトリオで『WAVE』をリリースしていた頃で、個人的には絶頂期かも、と思うくらい精力的に活動していたと思うが、SJ誌上では取り上げた記憶がほとんどない。それでも編集部に届く多くのサンプル盤を朝から晩まで浴びるように聴いている中で『WAVE』の諸作は強烈な印象(というか感銘)が残っている。それなのに彼の生演奏を聴く機会を逃してしまったのは悔しくてならなかった。
この日の歓送会で多くのミュージシャンや、集まったお客さんが富樫との思い出を語る中、その熱気をレポートすることで少しはその悔しさを取り返すことができた思いと、逆にますます生演奏を聴いてみたかったという思いが募ってきた。それらがごちゃ混ぜになって、ピットインに来ているお客さんがとても羨ましく思えたことを覚えている。
この日、出演者が残した言葉や演奏曲についてのメモが残っている。
・三宅榛名(ピアニスト):「10年以上前にコンサート(東京ミュージック・ジョイ)で富樫にオーケストラ曲を贈った。自作の<北緯43度のタンゴ>と、唯一弾けるというジャズ・ナンバー<ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームス>をソロで演奏」
・渋谷毅(ピアニスト):「富樫とはクスリ仲間で…(場内爆笑)。僕の方が年上だけど、音楽でもクスリでも彼が先輩だった。<Limbo Jazz><Old Falks>ほか3曲」

・渋谷毅のユニットに参加した渡辺貞夫(アルトサックス):「バークリー(音楽院留学)から帰国して自分のカルテットを組むときに、16歳の富樫を紹介してもらい、凄いドラマーだと思ってすぐ彼に決めた。すでに決まっていたドラマーには1か月分のギャラを払って辞めてもらった。アメリカで最初に組んだのもトニー・ウィリアムスで同じ16歳だった」。
・同じく渋谷毅のユニットに参加したつのだひろ(ドラマー):「高校生のときに富樫に入門した最初の弟子にしてもらった。その後渡辺貞夫カルテットに参加した」。
・山下洋輔(p):ソロ「何年か前に富樫のバラード作品を集めたライブ・アルバムもリリース(『KIZASHI’04』)した。富樫自身が演奏できなくなった後も彼はいい曲をたくさん書いていた。一つだけ富樫の秘密をばらすと、実は富樫は山下達郎と竹内まりやが好きで(場内爆笑)。山下達郎が売れないときに、私と同じ事務所で私の方が稼ぎがあった。らーめん屋によく連れていった。竹内まりやが富樫の曲をものすごく気に入って歌詞を付けたい、と言ってきたとき、それを富樫はやっぱり断ってた。もし承諾していれば今ごろ巨万の富が入っていたろうに…(爆笑)。富樫が自分で演奏できなくなった後に作曲活動を始めた最初の曲<My Wonderful Life>、デュオでよく演奏したという<Feelin’ Spring>をソロで演奏。」
・佐藤允彦(p)ユニット[山口真文(ts),岡野等(tp),松本治,佐藤春樹(tb),山城純子(btb),井野信義(b),二本柳守(ds),岡部洋一(per)]に参加した多田誠司(アルトサックス):「富樫さんの曲をやるユニット(SAIFA)で2年前にヨーロッパツアーをやってその曲の良さにシビれました。独特の世界があって、日本的でもあり、ヨーロッパのようでもあり…。やっていて気持ちいい。一度でいいから共演してみたかった。<Rumba de Funk><The Arch><Spiritual Nature>」
・大友良英(g)ユニット[広瀬淳二(sax),大谷安宏(comp),芳垣安洋(ds)]の大友(ギター):「2001年3月に一度だけPITINNで共演した。富樫さんからスタンダードではないジャズをやりたいと誘われた。<Inter-action>」
・鈴木勲(piccolo-b)~市川秀男(p)デュオ(鈴木はベースソロも)
鈴木勲(ピッコロベース):「僕が富樫に絵を最初に教えたんだけど、彼の方がずっと巧くなって、その後は彼が絵の師匠だった」
市川秀男(ピアニスト):「富樫とオマさんとで組んだトリニティで2、3枚作ったんだけど、その曲をやります。<Smile>」
・常盤太郎(Bells):「これ(Bellのこと)は富樫さんが選びに選んだパーカッション。富樫さんの音そのもの。<フリー・インプロビゼーション>」
※常盤太郎さんは富樫の最後の弟子で、晩年の富樫の身の回りのお世話もしていた。
・梅津和時(as)ユニット[藤川義明(sax),翠川敬基(cello),黒田京子(p),太田恵資(vln)]:<バレンシア>
※12月9日(日)の出演者
・雨宮拓(p)/伊藤啓太(b)デュオ
・井野信義(b)ユニット[梅津和時(sax) 竹内直(sax) 山崎比呂志(ds)]
・佐藤允彦(p)ユニット[後藤芳子(vo). 加藤真一(b). 渡辺雅介(ds)]
・鈴木良雄(b)ユニット[海野雅威(p). つのだひろ(ds). 横山達治(per)]
・高橋悠治(p)ソロ
・山下洋輔(p)ユニット[林栄一(as) 水谷浩章(b)]
・後藤芳子(vo)


















