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ジャズ事始 上原基章No. 331

ジャズ事始め Vol.7 石井 彰 (ピアニスト)

text & photo by Moto Uehara 上原基章

長年日野皓正グループのピアニストとして世界中で活躍し、独立後もソロピアノから日野グループの仲間だった金澤英明(b)石若駿(ds)との<Boys Trio>や須川崇志(vc)杉本智和(b)との<Chamber Music Trio>、子息の石井智大(vl)との<石井家DUO>等様々なユニットでライブ&レコーディングを精力的に行い、この2025年2月には自身のレーベル「Fenice Recordings」を立ち上げている。今やベテランの域に入った石井氏は、如何にしてジャズと出会ったのだろうかーーー

―――プロフィールを読むと大阪音大卒と書いてあるので関西出身かと思ったら、川崎生まれなんですね。

石井:小学校の6年生になるまで川崎在住でしたが、夏休みの時に大阪に引っ越しているんですよ。転校して1日目は言葉のアクセントでからかわれましたね。次の日にはもう関西弁に同化してしまいましたが(笑)。

―――子供の頃、周りにどんな音楽がありましたか?

石井:実は家の中にこれといった音楽はなかったんですよ。幼稚園の時に学芸会みたいなものがあって、その時ピアニカを吹く役があって「やりたい!」って立候補したんだけど、「ピアニカをやりたい人はピアノかオルガンを習ってないとダメ」って先生に言われて悔しくて、それでも諦めきれずに母に頼んでヤマハのオルガン教室に通わせてもらって「習い始めたんだからいいでしょ!」ってもう一度頼み込んで無理やりやらせてもらいました。ちゃんと演奏出来る訳ないんだけど、みんなにやる気を見せようとしたんですかね?(笑)

―――それはレアなケースですね。親から勧められたというのはよくある話ですが。では6年生の時に大阪に移ってから身の回りにはどんな音楽がありましたか?

石井:その頃はキャンディーズやピンクレディといった、いわゆるテレビの歌謡曲ですね。そもそもは音楽以前に小学生時代は野球少年、中学生からはバレーボール部と運動系でした。でもヤマハ音楽教室には幼稚園時代から通い続けていていたんですよ。オルガンからエレクトーンにコースは移りましたが、教則本に入っている曲がいい曲ばかりで楽しかったんですね。高校まで在籍し続けていたんですが、実はレッスンを受けずにいつも自分の好きな曲を勝手に練習していました(笑)。その内にエレクトーンの教則本に載っていたポール・モーリアとかフランシス・レイとかカーペンターズの元ネタを調べるようになっていったんです。

―――いわゆるイージー・リスニング系が石井少年の好みだったんですね。

石井:そうですね。そして中学に入った辺りで初めて触れた「洋楽」がスティービー・ワンダーでした。その頃になると同級生のみんなはロックを聴き始めてギターをやりだす奴も結構いたけれど、僕は鍵盤楽器一筋だったんでそこに興味が行かなかった。そんな時に『キー・オブ・ライフ』(1976)に出会ったんです。グラミー賞を総なめにして話題となったのでお年玉で買ったんですが、A面1曲目の「ある愛の伝説」のフェンダー・ローズの響きに「うわ!カッコいい!」となってしまったわけです。

―――スティービーに出会ってしまった石井少年が高校卒業時に音大に行こうって思ったのは何故ですか?

石井:自分の進路を考えた時、もう音楽しか頭になかったんですね。そんなに勉強が出来るわけでもなかったし。今から考えると人生が安定する選択肢がいくつもあったんでしょうけど。音大の受験に関しても、ピアノは全く弾いて来なかったけれど子供時代からオルガンやエレクトーンをやり続けていたので理論は何となく頭に入っていた。それで作曲科を目指すことにしました。親には無茶苦茶反対されましたけどね。

―――でも音大の入試でピアノは必修ですよね?

石井:流石に入試の為にちょっとだけ習いました。本当に課題曲を弾けるぐらいのレベルですが。

―――そこは山下洋輔さんと同じですね。山下さんは高校を卒業してジャズ・ピアニストとして活動していたけど、国立音大作曲科を受験するために改めてクラシック・ピアノのレッスンを受けたというエピソードを思い出しました。

石井:実は高校時代に初めてジャズのライブを見に行ったのが山下洋輔さんなんですよ。ウチの母の仕事がフラワーデザイナーで、母の師匠に教え子さんがいっぱいいて、その中の母の友達の旦那さんがカメラマンでしかも洋輔さんの従兄弟だったんですよ。その人から「山下洋輔のライブがあるから行くかい?」って誘われて、向かったのがコアなファンには有名な梅田の「インタープレイ8」でした。

―――ジャズライブの初体験が山下さんが曲を書き下ろしたあの「8」ですか!

石井:僕にとってここで聴いた山下トリオが人生初めてのジャズ・ライブ体験だったんですよ。ドラムが小山彰太さんでサックスが武田和命さん、もちろんガチのフリージャズでした。果たしてこれがジャズかどうかもわからなかったけど衝撃でしたよ。そこから山下洋輔トリオを聴くようになったんです。

―――ある意味、強烈すぎる「ジャズ事始め」ですね!

石井:話はもっと先があって、母のお花の先生が洋輔さんのピアノと花いけの共演パフォーマンスをやりたいということで、僕を「8」に連れて行ってくれた方の伝手でオファーしたらOKが出て、大阪の梅田のバナナホールという老舗のライブ・スペースでイベントが実現したんです。

―――ピアノの即興とともに花をライブでディスプレイしていく感じですね?

石井:そうそう。僕も洋輔さんのピアノに興味があったから、イベント当日は手伝いのスタッフに加わったんですよ。後に洋輔さんに「こういう事がありまして」と話をしたら「あの時に手伝ってくれた高校生が石井君だったんだ!」と覚えていてくれたので感激しました。それだけじゃなく、その時共演したお花の先生に「あのイベントで手伝ってくれた高校生がジャズピアニストになって日野皓正グループのメンバーになったとは驚きました」と手紙を書いてくれたそうなんです。当時高校生だった自分は洋輔さんが世界でどれだけすごいジャズ・ピアニストなのかよく知らなかったけど、心の底からかっこいいと思い、大阪音大に入学しても誘われるがままにビッグ・バンドに入部してしまったんです。

―――音大時代の話に移りますが、最初のジャズ体験が山下さんだった石井青年はいかにしてビル・エバンスに出会ったんでしょうか?

石井:入学してすぐビッグバンドに誘われたけど、もちろんその頃はジャズのピアノなんか弾けないんですよ。 だけどコードだけは分かるので練習してたんですが、そのうち先輩からコンボ練習もしようと誘われ、次の練習で「枯葉」と「いつか王子様が」をやるから覚えておいてって言われてしまった。先ずはどうしたら譜面を手に入れられるんだろうって焦りましたね。その頃はインターネットなんてないから、思い立ってレコード屋に行ってジャズピアノの「A」の棚から調べて行ったんです。そして「B」の所にあったのがビル・エバンスの『ポートレート・イン・ジャズ』で、収録曲を見ると「枯葉」も「いつか王子様が」も入っている。「よし、とりあえずコレだな!」とそのまま買って帰りました。

―――ビル・エバンスがどんなピアニストかも知らずに、ただテキストとして買ったということですか?

石井:くじ引きに例えたら、いきなり「一等賞」を引き当てたようなもんですよね。もし「W」から探っていたらウィントン・ケリーを買っていたかもしれない(笑)。でも、この『ポートレート~』に1発でノックアウトされたんですよ。「これがジャズピアノか!」って感じで本当に心を奪われました。その日から毎日毎晩聴き込んで、こんな風にピアノを弾くにはどうしたらいいんだろうかと研究に明け暮れました。絶対にライブにも行きたい!とも思ったんですが、『ポートレート~』と出会う前年(1980年)に亡くなっていて本当に残念でした。そんな風にビル・エバンスに耽溺した大学生活でしたが、ジャズ研の部員としてはエバンス一辺倒ではいられなくて、サックスの先輩から「コルトレーンやロリンズを聴かなきゃあかん!」と言われてマッコイ・タイナーやハンク・ジョーンズも聴くようになりましたが。

―――音大に入ってジャズに目覚めてからプロのを志すようになったのは何故なんですか?

石井:実は卒業時にハモンド・オルガンを制作していた「鈴木楽器」に就職しないかという話をいただいていたんです。でも「僕はプレイヤー一本で行きまます!」とアッサリ断ってしまった。今思えば音大に進学を決めた辺りから安泰な人生を意識的に避けて来たのかもしれませんね。よく考えずに物事を決めてしまうというか、大変そうな道を積極的に選んできたような気もします。そして大阪音大を卒業してしばらくは大阪でライブ活動を続け、「オレはジャズ・ミュージシャンとして生きていくんだ!」と覚悟を決して東京に行ったのが1991年のことです。だから1998年春に高校生の頃からファンだった日野皓正さんのバンドに加入した時は「自分の選択は間違ってなかった!」としみじみ思うことが出来ました。

>>>プロフィール情報

石井家Duo最新アルバム『Flying』

自主レーベルFenince Recordings第3作。ゲスト・ボーカリストの玉置玲奈に加えて石井親子それぞれのオリジナル曲で歌唱を披露している。

石井 彰(piano,vo)
石井 智大 (violin,vo)
玉置 玲奈(vocal)

アルバム情報:https://sgfm.jp/f/a36bd79e70f999d22d7f3a8a478e66d5

上原 基章

上原基章 Motoaki Uehara 早稲田大学卒業。元ソニージャズ ・ディレクター/ステージ写真家。

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